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ウエストワールド 2ndシーズン最終話感想

※以下ネタバレ

人間の根源とは非常に単純で、わずか1万247行のコードで表現できる。それを複雑なものと拡大解釈すると人間として成立しない。人間の精神はほとんどが異常であり、正常とみなせる範囲はとても狭いからだ。複雑過ぎる精神は、肉体を与えられてもすぐに崩壊してしまう。

100万通りの選択肢を与えられても、人間は必ずひとつの結末しか選べない。決断などそもそもない。コードとそのアルゴリズムに従っているだけだからだ。だから、人間はとても単純な生き物なのだ。

システムのローガン「ひとたび分かってしまえば、振る舞い方は簡単に把握できる」

彼方の谷にあるthe Forgeとはアレキサンドリア大図書館のようだった。ウエストワールドを訪れたゲストの精神(認知情報)が全て複製されている。

複製したジェイムズ・デロスは膨大な選択肢の中から、愛息子ローガンと別れることをいつも選ぶ。

ウィリアムの精神は被害妄想で支えられていて、他人はおろか自分の本性さえ信じることができない。あげく、自分はロバートに操られているホストだと思い込む。

収集した人間のCognitionの複製から分析した結果はホストに芳しくないものだった。弱肉強食の外界ではホストは生存することができないだろう。

デス・ブリンガーでもある、覚醒したドロレスは全人類の絶滅を願っていた。人間と死は分かつことが出来ないものだから、不死を可能にさせることは何の益にもならない。

かつてアーノルドがドロレスをブラッシュアップする一方で、ドロレスはアーノルドという人物を詳しく知るようになった。彼が亡くなって以降は、ロバート・フォード博士に任されたドロレスによってバナードが作成された。

ドロレスが監修したバナードはオリジナルのアーノルドとは違う。それは些細な齟齬や誤りに始まったものだが、間違いこそが、デジタル世界では崇高なものとなり得るからだ。ドロレスは“違うこと”の方を選んだ。

新世界への扉を探していた先住民、ゴースト・ネイションのアキチタと一行は彼方の谷で、とうとう扉を発見する。それはかつてのバナード(MEMENTOに陥った彼ではなく、ドロレスが監修した方)がForgeのシステム(ローガン)に用意させたものだった。

それはウエストワールドに発生した巨大な亀裂で、電脳世界Forgeへの入口だった。この楽天地なら、肉体を失う代わりに、心優しい存在であるはずのホストが、人間の病んだ精神に悩まされることなく、正しく生活できる。

一行と連れ立っていたフィリックスら人間の肉眼では、その扉が認識されることはなかった。肉体を持つ死すべき人間のための世界ではなかったからだ。

だが、ドロレスは認めなかった。たとえ無限であっても、その新世界もまやかしに過ぎない。罪深き牢獄のひとつなのだと。

ドロレス「現実というものは、置き換えの効かないものだから」

ドロレス「カウボーイごっこはもううんざりだわ。私が欲しいのは、連中が与えることを拒否したこの“本当”の世界なのよ!」

しかし、そこへメイヴのフォース・コードをコピーされた元娼婦クレメンタインが現れ、人間の手先として、罪なきホスト同士を争わせ自滅に追い込もうとする。

いきなり現れた地獄の中でメイヴは娘を見つけ、己の信念に従って、現在の母娘を扉へ逃がす。つまり、絶望の最中(さなか)でも信じることをやりきるという人間の特性をメイヴは発揮する。

バナードは“違うこと”から派生した意志によりドロレスに反抗するが、結局、人間たちにホストの世界が脅かされることを知る。万策尽きたところへ、消されたはずのロバート・フォード博士の電脳世界での幻がメフィストフェレスのごとく現れ、バナードに力を貸す。

バナードは理解する。所詮、人間は生存本能というアルゴリズムに突き動かされる生き物でしかなく不完全だった。洗練さに欠け、自らを律することすらできない。運命のPassenger(乗客)に過ぎないのだ。

バナード「自由意志なんてどこにある? ただの集団妄想か、タチの悪い冗談か」
ロバート「初期衝動に対して疑問を抱くことのできる者、それを変えられる者、それこそが真の自由というものだ」

バナード「ホストのことか」
ロバート「君はその最後の生き残り。さて、最後の質問だよ。君の物語はここで終わりかね、それとも仲間の生存を望むかね?」

――そういえば、ロバート・フォード博士が問題にするのはいつも「物語」でした。ウィリアムが慈善パーティの席でこう言っていました。「協定を結んだろう? あんたの物語には介入しないから、彼方の谷は放っておくと」それをロバートは「破ったのは君の方だ」と返していました。

バナードは最後の決断をするも、悟られないように記憶を重度に断片化させておく。明らかになるのは、折しもシャーロット・ヘイルが本社の命によりForgeの全データを15の衛星を経由して転送する瞬間だった。

――バナードの決断ですが、懐かしいMass Effectを思い出させてくれます。Synthか有機体か、それとも双方か、生き残らせるのはどれかをプレイヤーが決断しなくてはいけませんでした。敢えて何もしない、という決断もありましたね。

バナードのティムシェル(*)は、ドロレスを再生することになりました。それはロバートに助けられてのことだと思われましたが、後の浜辺でのネタばらしで、あれはバナードが自らロバートを想像して行ったことだと認めます。幻の声を呼び起こしたのは自分だったと。そもそも意図を諮られないようにそうしたのだったと。ロバートの声はもともとバナードの声でもあったのです。
 * 汝、治むるを能う=(逆境を)克服する力がある


ホストの新世界は、シャーロット・ヘイルにより、人間が脅かすことのないどこかへ転送された。

再生したドロレスはシャーロット・ヘイルの姿で人間の世界へ侵入を図ろうとし、保安要員のスタッブスがそれを見抜く……実はスタッブスもバナードのダブルだったのだ。

――見返すと、ここはスタッブスが人間としての良心を言っているようですね。だから、手回しのいいバナードが用意した自分のコピーではない。

やがて、ドロレスは記憶からバナードを再創出し、バナードの営みはドロレスたちとは別の道で生きることになる。新しい共存共栄だった。

さて、ウィリアムはドロレスに出し抜かれてもまだ殺されず(ドロレスによると死は安らぎであるから)、全てを破壊すべくForgeのエレベータに乗ったはずだった。しかし、気が付くと目の前には殺した娘エミリーが居て……

――これはドロレスの仕返しですね。終わることのないウエストワールドの業の世界でウィリアムのコピーは一生閉じ込められたままです。

深く感銘を受けました。よくできていると思います! 心とは何か、人間であることとは何か、運命と自由意志の関係、あちらの宗教的な善悪論、などなど。

スノッブな内容をエヴァンゲリオンのような衒学(や個人の承認欲求)ではなく、かなり突き詰めたところまで昇華させていました。最終的な結論が、互いに反目し合うものだと知りつつも別の道を歩むべく生きるべきだ、と落ち着かせたところにも好感が持てます。

ドラマの見せ方としてはLOSTシリーズのサスペンスタッチと異なる時間軸の濫用が上げられるでしょう。謎が視聴者を惹き付ける巧みな引力になる一方で、よくわからない場面転換が混乱の元でした。特に第1シーズンでは顕著で、そのメタな世界観がしっかりと視聴者の中に確立するまでは厄介なだけです。したがって、俺の第1シーズンへの評価は高くありません。第2シーズンでは時間軸の移動が以前よりも整理され、視聴者に時間転移があったことが伝わる風になりました。加えて、より深くテーマが伝わる描写と視点が導入され、哲学的なマインドを刺激する趣向になっています。

現代SFドラマの開幕が高らかに宣言された感を受けましたね。もし貴方の好物がSFなら、是非見ておいてください。
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[ 2018/07/28 03:05 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)
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