※以下ネタバレ
一言であらわすと、今までとは違う回だ。
ロバート・フォード博士「君(ウィリアム)の創造物が、被験者から何を学んでると思う?」
描かれているのは人間の業。忠実に人間をなぞると、結局のところ、おかしくなる。再現度が足りないわけではなく、充分に再現されると、おかしくなる。そういう生き物がヒト。
「ヒトは神とケダモノの間で平衡を保つ。だがプロチノス*の時代よりも、堕落の度合いが増したようだ」
ウィリアムは自らの認知収集プロジェクトによって自分のプロファイルを知った。ウエストワールドこそ、ウィリアムが生存できた場所。自分を偽らなくてよい世界。
妻ジュリエットはその秘密を見抜いていて、彼のプロファイルを見たことで命を絶った。(ただ、アル中の妻が自殺するほどだったのか? あの場面だといまひとつ納得できていなかった。が、劇中のウィリアムの実娘への対応を見れば、妻の杞憂はアタリだったとも分かる)
ここでいうプロファイルは、神目線で評価された人間の魂の成績表のようなもの。善人のつもりでいる者が、実は途方もない闇を心に抱えていると暴かれたら、どうなるだろうか? このような厳しい評価に晒されて生き残れる人間はおそらく一握り。だから、ウィリアムは“病原菌”としてデロス一家をことごとく破滅へ導いていってしまったのだろう。
素の人間は醜いものなのだ。テディの礎(Cornerstone)は愛する者ドロレスを護ることだった。ドロレスによって性格を改造されてしまったテディは、本当の自分でなくなったことで偽りの世界と決別することにした。テディの良さはたとえ甘ちゃんと非難されようとも、命の尊さを理解していたことだ。それを生き残るためとはいえ、正反対にスイッチされてしまった。その上、残酷にも当人が現状を理解できる余地が残されていた。
アーノルドのお気に入りがドロレスだったように、ロバート・フォード博士のお気に入りはメイヴだった。造物主である彼の、子供達への眼差しは優しい。しかし、フォードは頑なにホストを人間扱いしないようにと周囲に徹底させていたほどの心の持ち主だ。醜い現世をあざ笑って耐えるという心の有り様をホストたちにも課した。だからかもしれない。1stシーズンでホストたちはアップデートの後、おかしくなりだした。
ロバートも心を病んだ人間の一人で、その歪で傾いだリフレクション(鏡像)はやはりおかしい。メイヴはそのおかしい中で唯一、娘を護るという礎に忠実に生きた個体だった。その一途さが狂気からメイヴを遠ざけているのだろう。神であるロバートはそれを認めたからこそ、報いてやろうとする。
ロバート自身は電脳世界の、狂気とは無縁の場所で神を演じ続けている。またもやドクター・モロー復活である。
ポイントのおさらい:
最初のドロレスは、学習し成長するうち、なんらかの覚醒に達して、アーノルドを殺害し自殺するに至った。
認知を支える情報が欠けた心のコピーは、現実を拒否するゆえに崩れていく。再現度の妨げである。しかし、全てがオリジナルのように再現されたそれは、とても醜い者となるだろう。ジェームズ・デロスがそうだった。
人々の記憶から再現された者ならば、その醜さを退けることができるかもしれない。バナード・ロウの可能性。ティムシェル(
太田はこれを読んだ)
ホストという器に、認知を支える情報(彼方の谷にあるというサーバー群の中身)で心のコピーを再現したならば、それは不死の獲得につながる。
なお、劇中では Duplicate of cognition=心のコピー のようにいちいち言葉を変えて訳出されるが、ほぼCognitionで認知的な情報の意味合いで使われている。Cognitive plateauという言葉も出てきた。
ホストは円環(ループ)から抜け出て礎に根ざした覚醒を果たすと、新しい人間になり得る。この真人には邪な部分が最初からない。なぜなら、それはヒトが人為的に設定したものに過ぎないから。彼らは本来、無垢で自由である(アーノルドがドロレスを愛おしく感じたのはここだろう)。彼らが人殺しをはじめる理由は敵が自由を脅かす悪者だからだ。ヒトから特性を学んだ彼らは害人になってしまう。
次回:新世界へのドアが開かれるとき、ホスト達はどうなるのか?
* プロティノスの宗教的美観は「汝自らの魂の内を見よ。自らが美しくなければ、自らの行いを清め、自己のうちに美が見えるまで努力せよ。神すなわち美を見たいと欲するものは自らを神に似た美しいものにしなければならない」という言葉に表されている。(
プロティノス - Wikipediaより)
ウィリアムのプロファイルが記録されたメモリカードが隠されたのは、ハードカバーの本のページの間で、その本はカート・ヴォネガット・ジュニア作「スローターハウス5」だった。
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スローターハウス5 - Wikipedia
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