※以下ネタバレ
またまたやってくれました! 新境地。
登場人物ウィリアムを通じて、
人間とは何であるのか、また人造人間がどうして人間になれないのかを、洞察させてくれます。
シンギュラリティ(技術的特異点)によって人間の可能性が拡がり、寿命を人為的に延ばすことができるようになったとしても、そこには人ゆえの制約があるというのです。
おそらくはキリスト教的 魂 の問題が根底にあるのでしょう。
ウィリアムは余命の知れた義父ジムを実験台に、人間の記憶と性格をホストに移植する試みをしていました。
デロス社(義父とウィリアムの会社)は、ウエストワールドに投資すると供に、ホストの技術を応用してクローン人間の実現を模索する事業を開始していたのです。
偽物のジムは、ウエストワールドで客(ゲスト)をもてなす人造人間(ホスト)と同じやり方で仕立て上げられました。ホストのジムは自分をかつて人間だったジムだと思っており、カリフォルニアにある高級コンドミニアムの一室で暮らしていると信じています。
――これはまさに、P.K.ディック的な“まがいもの”の話ですね。ガラス張りの部屋の外では研究員が経過観察を行っていて、これまで7日間は人間らしく生活させることに成功していました。なぜ7日なのかは旧約聖書のそれと同じ理由によるものでしょう。
ところが、7日目にウィリアムが訪れて、ジムになにもかもが仕組まれたものだと悟らせます。ただの紙切れによって。そこにはジムが既に喋ったことが台本のように記されていました。するとホスト:ジムの認知機能は異常を来し、まるで溝に傷が付いたレコードの針飛びのように、言動がおかしくなってしまいます。
ウィリアムは、こうした同じことを、その度にマイナーアップデートして作り直されてきたジムを相手にやり続け、30年経っても変わることのできなかったホスト:ジムを前にして、結論を述べます。
「その状態を技術者はCognitive plateauと呼んでいる。精神が不安定になり、数時間から数日で瓦解してしまう。毎回同じだ。
最初は、臓器移植みたいに、心が新しい肉体を拒絶しているのだと考えた。しかし、もっと相応しく言うなら、実在性(Reality)を受け容れなかったからなのだ。心が現実を拒否したのだ。
この事業は最初から誤りだったのかもしれない。人は不死にはなれないのだから。
あなたがいい例だ、ジム。思い出にある人物像の方がマシな場合もある。倫理観の欠けたクソ野郎なら特に。世の中は、そんな人間は居なくても回り続ける。俺が世間に必要とされないように。アンタは死んでいた方がいい人間だ」
愕然として怒りに震えるジムが息子の名前を呼ぶと、ウィリアムは非情にも事実を告げます。
「ローガンは現実に向き合うことが出来ずに薬物中毒のあげく死んだ。ジュリエットは自殺した。貴方を助ける者はもう残っていない」
現代人にとって、かようにも現実は生きにくいのだ、と。皮肉にも人造物も同じらしい、と。
作り物に容れた記憶や性格は、それが作り物だと分かると(自分の本物はもう死んでいるのだと自覚すると)現実を否定してしまう、ともここでは言ってるんですね。生き物の本能が、いつわりの姿では生きてはいけないことを自覚しているようだと。魂が抜けてしまうと人では無い、と。
だから、バナードに会ったときにホスト:ジムはこう言うわけです。
「二人居るという父親は一人しか見えなかった。地の底から見上げると、悪魔の笑い声しか聞こえない。天の主はどこにいる?」
“悪魔を欺くには捧げ物が要る”――それが魂なわけですよ。人造人間は偽物だから魂が入っていないわけです。もしくは、偽りの姿を造らんがために、あったかもしれない魂を引き替えてしまったのですね。このDevil's dueに荷担したウィリアムも同罪だとも、(前述の彼自身のセリフで)自白しているわけです。アメリカ人がこういうドラマを造ると、またか、と思いつつも見入ってしまいますね。日本人がアニメの中でカトリックやプロテスタントの形を表面的にいくら借り受けても、こうは造れない。捉え方が根本的に違うから、ですよね。さらに生身の俳優が演じることで作為の中で剥き出しにされる素(す)があることに気がつかされます。それは滑稽だし哀しいし、自分の行く末かもしれない。偽ジムの様子は呆けた老人の絶望そのものに見えました。
そして次回――
「今、新しい声を見つけた」
――キル・ビル、真田広之、菊地凛子、ゲイシャ、フジヤマ、「沈黙 -サイレンス-」……もう、笑い声しか出ないゼ
俺の感想とは関係ないけど、ニューヨークタイムズ紙では文芸欄のコラムがあるんだねぇ→‘Westworld’ Season 2, Episode 4 Recap: The Cognitive Plateau from NYtimes.com
- 関連記事
-
スポンサーサイト