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ブレードランナー2049

Kはどういうオトコか?

KがJoiに感じる愛は言葉で表す必要のないもので、かなり入れ込んでいる……マジもんの純愛のようです。娼婦の肉体でもかまわないところまで、純愛がエスカレートしています。

Joiの方も、自身がプログラムである以上のものをKに与えようとしているみたいに見えます。

デッカードを殺すように言われ、全体が真っ黒い目の広告媒体JoiがKに話しかけてきた場面。俺は、KのJoiも、作られたウソの恋人に過ぎないことが知らしめられたのだ、と一瞬思いました。でも、Kはそこに彼のJoiを見たのでしょう。黒目であるということは、あの世から話しかけていることの象徴かな、と思いました。

目が虚無であることは劇中において2つの意味があります。ひとつは解任対象のレプリカントがIDを隠すために右目を取り除く場合(あるいは、片目だけで生きている半死の状態)。もうひとつはウォレスのように神を演じられる者の立場を象徴する場合。目が2つとも黒いJoiは、死者の状態で、その見かけはウォレスと対峙できそうなほど巨大です。黒い目で世界を見通す存在です。

そのJoiが、Kにだけ意味のある言葉のMy Good Joeと語りかけるのですから、Kはそこに特別な意味を汲み取らないはずがなく、彼はデッカードを殺すどころか助けることを決意するのです。

デッカードはレプリカントか?

デッカードのレイチェルに対する愛情は、それはそれはワイルドなものでした。俺は、濡れ場でデッカードがレイチェルを一見ぞんざいに扱う様子が当時まるで理解できませんでした。デッカードは己を試していたのかもしれません。彼女が本当に好きなのかどうかを。激しく愛してしまうのは、偽ることの出来ない愛だったという証しなのです。

レプリカントとして生まれたばかりのレイチェルはといえば、ねんねでデッカードの愛に真っ正直に応えられないほど、経験もありませんでした。しかし、Kがアーカイブでラヴに対して説明したように一目惚れだったのでしょう。彼らは、ウォレスが説明するように、あらかじめカップリングされるべく作られた存在のネクサス7型だったのかもしれません。

メタ的には、後付けのようでいてすんなりハマるこの解釈が2049の真骨頂です。

デッカードのレイチェルへの愛は、作られたものでは無いはずです。後にリドリー・スコット監督がバラしたように実際はレプリカントだとしても、デッカードは己を作られたものと認めておらず、レイチェルを愛することには運命以上の理由があったのです。タイレルの繁殖実験を超越していたはずなのです。だからこそ、愛の結晶たる娘を授かることができたわけです。

観客が信じるが如く、デッカードには己への疑いが微塵もありませんから、彼は人間たりえるのです。ロイを看取ることができた理由、ロイが最後に助けた理由、怪力を発揮できない性能である理由、全て、デッカードの信念がそうさせているのです。ロイは闘っているうちにデッカードの愚かしいほど“本物の”人間性に触発されたのです。

Kが名前を明かした時のデッカードの反応を思い出しましょう。
「それは認識番号だ、名前じゃない」

頑固で骨太な様子は30年後のハリソン・フォードの演技にも支えられていました。
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[ 2018/03/03 04:37 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)
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