Dark Soulsは、噂に違わぬ大変なマゾゲーであったという結論に落着した。同じことを延々と繰り返す行為には、どうしたって飽きが来てしまう。ボスを攻略するためのアクション自体は、百歩譲ってやりがいがあるかもしれないが、そこへ至る過程まで揃いでこなさなくてはならない。狩り取ったソウルが不慮の死で水泡に帰す場面にはとっくに慣れてしまった。それでも、無駄な行為に費やした時間のことを考えると、おいそれと遊べるゲームデザインではない。輪を掛けるように、敵から受けるダメージを過剰に感じる場面がいや増す。こんなに雑魚を強くする必然性があるのかとデザイナーのS度を測定したいほどだ。
剣戟アクションは雑魚のパワープレイで圧され気味になり、あれほど苦労して成長させてきたキャラクターはいとも容易く頽れる。未だに余剰アイテムを換金することすら叶わず、Bonfire同士をファストトラベルで繋ぐことも許されない。“Fire Keeper is absent.”でFirelink ShrineのBonfireが使えなくなりもする…。これは私が実際に体験中の境遇だが、プレイヤーに枝道の選択を許した弊害である。適切な順序で辿れば攻略が容易くなるが、そうでない場合はあからさまに不利益が増す。様々なルートの選択を許しておきながら、正答をひとつに絞るのではタチが悪いというものだ。
Dark Soulsの「一見さんお断り」仕様の最も悪い部分は、ゲーム内での説明が致命的なほど足りないことだ。魔法の三系統とその用法に関して何も説明がない。PyromancerはどこでPyromancy Flameを獲得するのか見当も付かない。
Dark Soulsのゲームシステムはパッケージングに秀逸さを感じるが、一般的な顧客向きのコンテンツとは言い難い。熱心なファンからの評判はよくても、娯楽を供する21世紀のゲーム産業からすれば失敗作だ。これほど忍耐を強要するコンセプトは昨今稀である。カジュアルでソーシャルなご時世によくもまぁ認知されたものだ。反復を是とするデザインの上に、倒し難く敵を配置しておくものだから、常識的な我慢のキャパシティをすぐに一杯にさせてしまう。