今や、私はD&D3.5Eが嫌いである。AD&D1stおよび2nd Editionの頃はそうでもなかった。Pathfinderも、遊びやすくなってはいるものの、やはり好きではない。どうしてか? それをこれから書いてみる。
・Feat《特技》が多すぎるまずはコレだ。同一クラスを二人のプレイヤーがロールしたとする。AD&Dの頃だとこの二人のキャラクターにデータ的な大差はない(能力値の大小やhpの多寡はあるだろうが)。3.5Eを好きな人は、Featを個性だと言う。各キャラクターが独自のFeatを取得するのでバリエーションが生まれ、さらにそのFeatの効能により各自の活躍する場が生まれるのだ、と。
一理あるが、コアルールブックだけでプレイしている人達はその正体に気が付いても良さそうなものだ。ショッピングリストは確かに多くはなったが、最も効果的なビルドを考えると、皆、似てくる。クラスで能力を固定する方式とどこが違うのか、ということになってはいないか。
反対にFeatが選び放題のデフレ下では、いろいろと“楽しい”状況が生まれることだろう。俺強ぇ~の伝説が始まる。掟破りにも似たバランス崩壊をどう立て直していくのか、DMの手腕が求められる。膨大なサプリメントを相手にプレイヤー一人一人のカスタムに対応していかねばならない。あぁDMで無くて良かった。
多様性の売り文句で、煩雑さの跋扈を許していいのか。「許さないよ」というDMは、選択肢を狭めるという最短ルートの解決策を採る。それなら、端から選択肢など与えなければ良かったのじゃないか? 3.5Eをやるべきでない。
・戦闘主体のボードゲーム化しているTRPGは場面を楽しむ即興ゲームだったはずなのだが、いつの間にかHero Clixになってしまっている。歴史的にはHero Clixが後発なのだが、もうどちらでも似たようなものだ。昔はウォーゲーム的エッセンスはBattlesystemのようなオプショナル・ルールだった。D&D3Eから、ボードの利用法を具体的に規定したために、哀れで一途なプレイヤーらはこの呪縛から免れることが出来ない。
物語性の前にボードゲームありきとなってしまった。私はこれが不満でならない。
・D20システムが旧い突き詰めるとこうなる。昔は斬新だった戦闘システムも、今考えてみれば、所詮ダイスで高い目を出せばいいだけのゲーム性でしか無いということだ。なぜこんな詰まらないチンチロリンに皆気が付かずにはまっているのか。
ダイスの運頼りよりもマシな戦略性が世の中には存在するのでは? と辺りを見回してみてはどうだろう。
以上、私がD&D3.5Eを嫌いな理由でした。このようなものを書くと、あるいは遊び仲間からハブられてしまうかもしれない…。気をつけよう。もう遅い?
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第一印象「これボードゲームよね?」でした。3版系列。
フィギュア使用のカードゲーム?とも感じましたが。
最近のプレイヤーには、このくらいガッチリ遊び方を固定しないとダメなのかな?とか思った次第です。戦闘無しシナリオって成立するのかなぁ、三版。
まぁ、昔も即興が出来ない人はいましたけど。「空き瓶の価格教えて」とメーカーに投書した人とか(ポーションの空き瓶売ろうとしたプレイヤー対策らしいです)。