長丁場で斬新なところは感じなかったものの、わかりやすく、誰でも愉しめることを念頭に作られた体だった。(でも、子供は飽きるだろう。そして、大人は熱狂的になれる内容ではない。中学生くらいが丁度いい視聴者層だと思う)
戦争描写のある「大草原の小さな家」とでも形容できそうな、家族ドラマだった。
登場人物が多くて描く側は大変。ある一握りの登場人物にスポットが当たっている間、他の者はどうしていたのかが、とても気になってしまう展開が多い。
物語のレベルは敢えてハードルを低くしているように見えた。要するに先が読める。変にひねったりすることもなく、正々堂々とどこかでみたような王道の展開をしてくれる。
海中の映像では少し気になるところがあった。空気に関する泡の表現がない。美的観点か、あるいは描くと面倒であるとかの理由で、主人公たちが海に親しむシーンでは、「鼻から気泡」のような描写はほぼなかった。後半、若者たちがスカイピープルに追われる場面になると、若干の鼻気泡が描かれる。
CGIは美しいものの、全編を通じ、完璧なグラデーションが人工物という嘘くささを感じさせる。黒つぶれやハレーションがむしろリアルの証拠であったためだろう。
わかりやすさの為には何でも使う。クジラと捕鯨を連想させる場面はあきらか。植民者が原住民を追い立てるシノプシスは、アメリカの入植者がやってきたことでもあるわけで、そう考えれば自虐的。
いずれ、(リコンビナントの)マイルズ・クオリッチ大佐は(死にかけたうえで)エイワに命を助けられ、自己犠牲でサリー一族を救うことになるのだろう。壮大な衝突と騒乱の物語も、必ずや和平・共存で終わると思う。そういう構想でシリーズを撮るのが監督の考えに違いない(シリーズが最後まで貫徹できれば)。
キリが光る小魚の群れでネイティリとトゥクを救う場面は、未来少年コナンのラナを思わせた。ネテヤムが沈んでいく海底の光る草原は、映画ナウシカの(その者、青き衣をまとい~)イメージを連想させた。宮崎駿作品からのそうした影響がある、もしくは印象からの効果を似せて使っていると思う。というのも、そうした結束力や(血の繋がりというだけではない)家族のテーマを考えると、行き着く先は同じであるからなのだろう。ファースト・ガンダムでアムロがア・バオア・クーからの脱出路をクルーにテレパシーで伝えるのも同じ伝だと考えていい。
家族テーマで戦争描写がなく、もっと深いものをお探しなら、スピルバーグ監督の「フェイブルマンズ」をお勧めする。あれこそ、家族愛と赦しの物語。
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