主人公の視点で組織の活動を紹介しながら、救われる世界の事件を解き明かすのかと思いきや……早い時点で、「事件」は主人公の私的目標にとって代わられ、同時に、活動することになった成員達の過去を延々描き続けるようになる。
その過去話、必要か? 例えば、シヴとアーチーの過去の関係を知っておけば、なぜそうなのか、視聴者は理解しやすくなる。ただし、それを知ったからと言って、現在進行形の物語に何らプラスにならない。作り手が説得力を増強したという自己満足だけだ。
プロットは、未来を救うのではなく、主人公の愛する者の過去を救うことになっていく。ただの組織内部のグダグダ話だ。これは典型的にストーリーテリングが自家撞着してしまうパターン。描くはずだった内容と、描かれていく内容がまるで逆だ。この様子では、H.G.ウェルズ以来のタイムマシンものと大した違いはなくなってしまう。
Giri/Hajiは未見なんだが、ざっと調べると、組織内のいざこざを得意とする作り手なんだなぁという印象。SFっぽいタイムリープものという視点が、非常に弱いトーンになってしまう。確かにタイムリープが答えには違いないが、世界を救うという大義はどこへ行った? 私事(わたくしごと)に囚われる登場人物ばかりで、これでは標題(とりわけ邦題)のドラマは見られるわけがない。
「大義/本音」というタイトルの間違いではないか。まるでSFの精神を感じない。ドラマとしては、ヤクザの抗争劇と大差ないよ! がっかりだよ!
まだ第5話だから、挽回してくれることを願ってるけれども。このトーンで突き進むなら、無理だろうな。
救済を求めるのがヒトであり、世界平和に興味なんかあるわけない、というのがこのドラマの主眼らしい。ヒトである限り、そのことは共感を呼び起こすけれども、それは中世のフェーデであって、現代の法と秩序を重んじるような民主国家のドラマにするにはかなり強引な手腕が必要だ。で、その強引さを肯定できるレベルには達していない。なんだ、そんな話なのか、という失望のみ。
解決の途中で銃を使って安易にヒトを殺してしまう。これは主人公のこれまでの主義からすれば、相当に自分らしくないことをしているはず。悪態をついて、その場では後悔を見せながらも、主人公は半ばやけっぱちに目的達成に動く。ここがダメだと思う。これまでアプリ開発をしていた平和を愛する一市民であったなら、そうした暴力の誘惑に屈せずに、自分らしさを突き通して自力救済を果たそうとするべきじゃなかったのか。そうしてくれれば、まだリアリズムがあった。恋人を蘇らせるためなら、人殺しも厭わない(本当はそのつもりは無かったけど)、では困るんだよ。安直だから。だって、そもそもドラマの中なら、いくら殺人を犯しても、重みなんか簡単に無くなってしまうじゃないか。法で裁かれるというリスクを感じさせてくれないと、そこに現実的な共感は生まれないよ。それがエンタメの手法だから、という理屈なら、単に三流になるだけ。
主人公は莫迦だろう。核爆弾を爆発させることが目当てではないはず。爆発させられてはお仕舞いだと判断したラザロのチーフ「マダム」がコードブラックを発令しないと時はチェックポイントまで戻らない。マダムに発令させる機会を促すことが目当てになるはずなのに。さらに言えば、自分の悪行非道は目的を達成してもチャラになるわけではない。エージェントは過去改変の記憶を保持しているので、彼が裏切り者で自己中心的なテロリストだった事実は結局裁かれてしまう――組織を敵に回したままなので、蘇った恋人と逃亡するしかなくなる。そこをクリアしつつ、恋人を助けるところまで考慮していれば、少なくとも視聴者を味方にできたはずだ。ラザロという意味に倣えば、主人公の自白や後悔が後のポイントになるのだろうか。ゆえに、テロリスト製造機に過ぎないラザロ・プロジェクトに、どのような魅力があるというのか、私にはどうにも分からない。悪落ちした主人公の物語としても間抜けだ。
アーチーとシヴが大義の砦側になるわけだが、シヴは早々に退場させられ、アーチーにも感情的に危うい動機はある。これだけだと、シーソーを司る人間ドラマの展開はたかが知れる。主人公の立て方が弱すぎた。群像劇としても魅力が乏しい。脚本としてはあまり良くないだろう。
場当たり的な主人公の行動から察するに、平凡な男が特殊な組織に属したがゆえの悲喜劇を描こうとしているのだろう。ところが、ガンアクションを主にしたシリアス系の演出で描いているために、コミカルさは雲散霧消し、考えの浅い間抜けな主人公が暴れ回るだけになっている。バイプレイヤーの描き方も不十分で、視聴者はどちらにも乗れない。
ラザロという組織に超法規的な活動を許したのが間違いだと思う。例えば、ギリギリありそうなインチキなガジェット(映画チャーリーズ・エンジェル(2019)のような)を駆使することで法を犯さないで済むようにしておけば、コミックリリーフが生きたはず。これであれば、平凡な男がスカウトされても活躍できる理由になるし、人殺しを気に病む必要がなくなる。ラザロの一員であっても法の遵守は絶対にしておけば、随分とニュアンスが変わってくる。主役にパーパ・エッシードゥが起用されたのはザ・キャプチャー第2シーズンのような演技を期待されてだと思うので、そんな男がまともに銃を扱えて人殺しを平気でやってのけてしまうのではドラマとして不味かろう。
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