チャック・パラニュークの2020年の新作。ファイトクラブで有名になり、その後、日本では17だか18年だかの空白があったそうだ。
誰かが本作を、P.K.ディックのような、と称していたが、その理由は90%まで読み進めるとはっきりする。
いくつかの伝統的なプロットが直前まであったのだが、この決定的な一打で全てが劇的に変化。なんとも不可思議だが確定的と予想される幕引きへ突き進む。
中年男の主人公がクライマックスの前に慰めを得るというあたり、まさにディック。
あれほど必至の筆が、こんなにも不確定に揺らぐとは微塵も思わなかった。迷いの筋書きにも見えないこともない。
予定調和を排する方向で、読者の予想を裏切りながらプロットを進めていく作風になったらしい。伏線は回収されて読者はある程度納得するが、主人公が予期していたドラマティックな機会はとうに流れてしまっており、一向に補填されていかない。どうなるのだろう?
人が生み出す一番の傑作は、その人自身だ。人は自分の外見や行動を磨く。自分の作品がよりクリアに見えるのは、ほかでもない、自分の心にあるときだ。誰もが自己イメージを描く。それは、ほかにもありえた選択肢をすべて拒絶して選んだ、理想の自己像だ。
まさに物語のプロットがどうしてこうなるのかを言い訳しているかのよう。
消去ボタンが押され、あり得たプロットが灰燼に帰す。作家はとうとう物語世界と同化して、出口を登場人物と一緒にもがきながら試行していっている。木曜四時、脱稿のタイムリミットは設定済み?
作中作「オスカーの黙示録」が中年男の未来を提示し、読者が驚愕する。
一子相伝の中に、似たプロットを過去に見たことがある。また、果たされる前から予期された機会を互いに果たせずにいる関係。追う者と追われる者の、不可思議で逆転する関係。
いわんや、最期はシックスセンスを救済に使う……
死と生。なんとも劇的だが、これは果たして小説だろうか。どうにも境界が薄くなってしまった人生の曼荼羅が、読者に開陳されてしまったようだ。小説で語られることによって厚みを得たはずの某かが、人の一生を騙ることで、嘘くさく別の何かへと変貌してしまった。中年男の心の再生を上手く語ってはいるのに違いないが、どうにもそれは出来すぎた感があり、相容れない。
しかし、「オスカーの黙示録」の補完がなされたと知れるや、そこには完璧な円が生まれたことが朴な読者にも分かる。
さして本当の結末は、デクスターだった――
なんとも微妙な、エンターテインメントなのか、そうでないのか、エッセンスを人生の問いに求めるのか、揺らぐ小説である。ファイトクラブの明快だった頃が懐かしくもある。
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