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配信映像を信じてはいけない世界

BBC制作の「ザ・キャプチャー 歪められた真実2」を視聴。ウエストワールド第3シーズンのテーマをより現代的に先鋭化した、SFといっていい類いのドラマだった。

「ビッグデータの解析から人間の(“嗜好”以上に)志向が判断できる」という前提は同じ。ザ・キャプチャーではそれを解析するのは今日的なAIだとしている。

一方、ウエストワールド第3シーズンでは、デロス社のテーマパーク「ウエストワールド」の来園者から収集された膨大な個人プロファイル(BOOK)を、鏡像(仮想の個人)として仮想世界で大規模シミュレーションすることができる「レハブアム」というスーパーコンピュータが登場する。それにより、個人の一生(病気や職業適性、鬱傾向や自殺願望、寿命など)が丸わかりになってしまうというディストピアが実現するも、しばらくは管理社会として成功を収めていた。というのも、負の情報は伏せられて、全ての人々が社会貢献できるように積極的な管理にのみ生かされたからだ。ところが、外れ値として社会から除外されていたケイレブを、ウエストワールドから逃亡した覚醒ホスト(生体アンドロイド)のドロレスが意図的に助けたことから事態は反転し、レハブアムの真実は大衆の知るところとなる。やがて暴動が起き、人々を支配するアルゴリズムはドロレスの策略と共に崩壊する。

ザ・キャプチャーの第2シーズンが興味深いのは、ニュースメディアとしておなじみのBBCが自社番組を劇中に登場させながら、英国のセキュリティや米中におけるある種の冷戦状態をネタに、ディープフェイクが密かに活用された国際的な諜報活動が、「誰にも気が付かれないもの」として描写されているところだ。

第1シーズンは同様にディープフェイクを扱いながらも、小規模なえん罪事件の成り行きに終始し、あげく続編を匂わす終わり方であったため、サスペンスとしては非常に煮え切らなかった。翻って、第2シーズンは毎回とても面白い。重層的な疑いが主人公レイチェル・ケアリー警部の周囲に用意周到に張り巡らされ、エピソード毎に着実に、一枚また一枚とベールを剥がしていくのだ。

第2シーズン第6話で、それまで主人公視点と神視点を行き来していた物語が、とある場面の裏を明かさないまま第7話に突入する。視聴者もケアリーも半ば置いてきぼりのまま、回想場面にて真相が明かされていくと、「なるほど」となる。

ここで、ウエストワールドと同様にアルゴリズムというキーワードが出てくるが、ザ・キャプチャーの場合は、アルゴリズムの判断に従うことで大衆を味方に付けることができるといった使われ方になっていた。つまり、AIは現状分析だけでなく、分析の結果によって有意な選択肢を示すことが可能で、出世を有利にできるというわけだ。本人の主義と異なる“お勧め”活動は、中継や配信を技術的に乗っ取った上でディープフェイクが代役を務めることで実現されたとしている。

レハブアムは管理の名目で、人々から人間らしい希望や野心といった自己実現の能力を奪い、予測に準じた動きしか許さなかった。ゆえに、外れ値は社会の成立を乱すとして組み入れられること無く捨てられていた。予定調和と排斥によって成り立つ安定と存続だったわけである。ギミックとしてはやや古臭く、80年代あたりの(手塚治虫も作った)マザーコンピュータものと大差ないと言えばその通りだ。ウエストワールドの描く未来社会は相当に大雑把にしか表現されていない。

――レハブアムの功利主義がどこにでもいる自由原理主義者に滅ばされたと言える。劇場版銀河鉄道999(1979年)もある意味で自由原理主義者の鉄郎によって機械の体という功利主義が滅ぼされたと言える。漫画版ナウシカも自由原理主義者の一人で、自然のままに死ぬ自由を人類が獲得するために、旧文明からの遺産を否定した。深く考えると、非常に古典的な、政治と正義を巡る問題なわけである。この問題のバージョン2.0のドラマがザ・キャプチャーの第2シーズンである。そう考えながら視聴するとなおさら面白い。

功利主義は、まさにマザーコンピュータやAIの得意とする命の重さを定量的に考えもする、全体の幸福に注力した世界。その合理性は、ヒトが普段暮らす上で考える正義と相反する場面がある。レハブアムの例では、それを丁寧に描写している。999の機械の体を持った人間が(生身の)人間狩りをして他人を思いやる心を無くすのは、トロッコ問題の極端なメタファーと考えられなくもない。鉄郎と母は機械伯爵の領地に迷い込んだ不法侵入者で、そもそも貧乏な鉄郎達は社会に貢献していない。こうした捉え方は作者の意図するものではないだろうが、管理社会における合理性とは、まさにルーカスが描いたTHX1138の追跡を止める理由に他ならない。かといって、平和で協調性のある人々の考える「正義」を物語化すれば、それは政治になり、単純な革命のあらすじでは不十分過ぎる。今私たちが体験している生活そのものが政治の結果でもある。自由や平等を重んじた正義にもいくつかあって、それらは互いにいがみ合いもすれば、手を組むこともある。リベラル、リバタリアン、共同体、左派、保守、ネオリベ、共産主義、右翼、などなど。だからバージョン2.0に意味がある。SFっぽい管理社会を捉え直すと、そこには政治が必要不可欠になるのだ。そして、いま現在、世界にある問題とも繋がる。

アルゴリズムのおかげで、とある政治家が当選できたという例が、ザ・キャプチャー劇中にて披露される。これは某大統領の選挙活動がSNSでバイアスのかかった結果を導いたものと似た手法に思われる上に、劇中のAIは、政治家の過激な振る舞いがむしろ人々を食い付かせる、という理屈や結果を予測できるとしている。視聴者が目の当たりにしてきた現実の延長上にあるかもしれないというホラはなかなかどうして巧みだ。

劇中のトゥルーロ分析のCEOグレゴリー・ノックスは、パランティア・テクノロジーズ(Palantir Technologies)のピーター・ティールがモデルだったりしそうだ。

しかも、強烈なダイイング・メッセージがある。曰く「アメリカに気をつけろ!」だ。EUを脱退し死にゆく英国の、BBCがこの主張でドラマを作るのは、相当イってる。台詞にも出てくる「スノーデン」のありそうな次だ。ケアリーがか弱く、護身術を身につけてもなお抵抗できないほど無力なのは、英国そのものが骨抜きにされている事実で、信念がどこにも存在しなくなった空虚さを再び演出しているに過ぎない。年老いた英国人は甘んじて受け入れているが、若いケアリーはその理不尽さを我慢できない。英国の政治的な閉塞感を、ひょっとすると上手く表現しているのかもしれず、他人事とも思えなくなってくる。

しかし、ジェマ・ガーランド警視は、魂を売っても生き残って最後に一泡吹かせてやれると諭しているかのようだ。

さらにまた、「報道を信じるな」と登場人物に言わせている。天下のBBCのドラマで。おまけに、BBCのニュース・キャスターの1人はスパイなんである。そして、最後は……

顛末が振るっている。なかなか痛快な出来で、前作に比べて完成度が高い。もっとも、サスペンスタッチの後ろ暗い部分は結末へ向かう過程でさっぱり墜ちてしまったが、いわゆるハッピーエンドを優先したエンターテインメントとしては相応に満足度が上がっただろう。
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[ 2023/06/24 19:48 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)
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