「可変種にワクチンを届けた。しかし、信者を武器にしてだ」
このくだり、第一シーズンのアロンゾ・バンダミア艦長がかつてシンスの使節団と出会って、(視聴者に対して)説明不明のまま、とにかく死んだ、という事件と使い方が同じでした。
DS9でしたっけ? そういうエピソードがあったような気もしますが、思い出せるキーのドラマをここでは問題にしておらず、事件の結果のみを引いてるので、大した意味がないんです。
ジャック・クラッシャーの赤い目はグリーンサイトでしょう、ゲーム・オブ・スローンズに出てきたウォーグの。どの辺がスタートレックなのか。
ヴァーディクの非道を見てると、「カーンの逆襲」を思い出しますが、それでも酷い。一体いつの時代だろう、という雰囲気のドラマじゃないですか。悪漢にはそれなりの魅力があるものですが、ヴァーディクにはそういったものが欠片も無い。
リブート版のカーン・ノニエン・シンもかなり腐心して再構築されていましたが、あまり成功したようには思えませんでしたっけ。それでも、どうして、ああなったのか、を時間をかけて説明していましたね(役者の無駄遣い)。ヴァーディクも自分で説明してましたが、それでも唐突で短かった。
ライカーとトロイの“傷をなめ合う道化芝居”は、ギリギリまとまっていましたが、その理由は彼らのバックグラウンドをTNGでさんざん見ていたおかげ。他人の不幸話が第一シーズンでも山ほど出てきましたが、まだやるつもりか! 癒やしと別れがテーマである、とさも当然のようにアッピールしてらっしゃいますが、この脚本家含む作り手連中には、残念ながらその実力は無いっぽいですよ。いや~三文芝居にも程があるでしょう! という出来。
ウォーフのご都合主義。「待ってました!」と、シラケる、は紙一重なのかもしれませんが、ピカードではどうにも後者です。エピソード7からこっち、第一シーズンのノリが健在で、もう無理ですね。駄作一直線です。
ウォーフとトロイとライカーの三角関係は面白い。でも、これもオールドファン向けのサービスのひとつ。ピカードという作品の魅力ではありません。
途中で、ヴァーディクはジャックの母親なんだな、と直感しましたね。理由はよくわからんけど。ディストローム・ステーションの実験の副産物かもしれませんし、何らかの意図があったのかもしれませんが。それで、あんなにご執心だったと。――もし、やれるなら、そういうセンもできたのに。だから、上手い伏線張って見応えのあるものに仕立ててくれよ、と。連続物って例えば、こうやって面白くするんだろうがよ。
データとローアの最終決着を考えたのは悪くないでしょう。ところが、データがどうやってローアをやり込められるのか、そこがイマイチ。そもそも、どちらかが吸収されるという一方的なものではなく、“統合”なんで。このネタ、場面を見る前に、エヴァの三賢者のスーパーコンピュータの演出だって、バレましたよ。パタパタッとオセロのように大逆転する、アレ。
でも青か赤か、ではなく、マゼンタになるのが正解でしょうね。統合だから。
余談ながら、データは本心から生命体を殺そうとしたことが、かつてあったわけで――翻訳がなっていなくて、dischargeを迷訳してくれてましたが。TNGは長いシリーズでしたから、いくらでもヤリようはありますよね。ところで、ラルの話はどこ行った?
とにかく、ピカードには既視感がありますな。悪いことに、他者の作品からの……新しくない、ってこと。既存の世界観をぶっ壊す試みだけは唯一無二に斬新ですが。
データが(ローアを抑えることに)成功しないと話が続かない、ってことは、成功するんだろ? ってオチなわけで。「ご都合主義です」と、先んじて断っているようなものですよ。もっと面白く使うこともできたかもしれない、このネタ…… すご~く、残念に感じるんですよね。
可変種は真空でも生きられる、ってなオチはMemory Alphaで読んでたので、そうなんだと思いきや――人間の臓器を得て死ぬことが出来るようになった、その結果ってわけですね。パリン! ヴァーディクはやっぱり即物的な悪役でしかなかった…… ピカードにおける、ありがたみのなさは異常。
また、ハッタリか。
「この船には闇がある。全てを飲み込む闇……」
I'm sensing... 多用するの、やめようね、というベタゾイドのお馴染み。
そして、またもや同窓会……
今回も諸手を挙げて歓迎できなくなりましたね。悪い要素の悪目立ちが大きすぎて。
扉のイメージは、なんとなくストレンジャー・シングスなんですよね。また既視感。25世紀にさ、ノブのある扉ってそんなに使われてるのかな? 無いとはいわないけれど、シャトーピカードでもない限り、めったにお目にかからんでしょ? 現代(過去)的すぎやせえへん?
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