「代替現実ゲーム(alternate reality game)」で思い出すことがいくつかある。
まず、実際、早い時期に、遊演体という団体が主催するものに半分参加したこと。興味深かったものの、郵便が基本であり、今ほどネットが発達した頃でもなく、参加し続けるのは無理だった。面白さが実感できるほどには参加できなかった。雑誌媒体の広告からとはいえ、あくまで大人数向けを主体としたもので、今のMMORPGみたいな印象だった。それこそ、英雄が無数にいるような、あるいは、無名の冒険者が酒場でたむろしているような。
P.K.ディックの短篇に「小さな黒い箱」というのがある。あれこそ、まさに代替現実ゲームだと思うのだ。黒い箱の作り方が頒布されていて、箱の取っ手に触れると、とある宗教家の体験を共有することになる。宗教家という設定は、今日(こんにち)ではインチキなカルト集団を思わせるが、ディックの世界では「蔑まれているが真実に気が付きつつある者達」みたいなニュアンスがある。映画「マトリックス」の、電池になっている人類みたいな雰囲気なのだ。
ここにきて、「別世界からのメッセージ」という海外ドラマに出会った。Amazonプライムビデオで視聴できる。
代替現実ゲームが題材というのはすぐに分かる。ピーターいち個人から始まって、彼は同じ境遇の他者3人と出会う。他にも、フィラデルフィアには“その”謎に関心を覚えた人達が数十人は居たりする。
現実で起きた妙な小事が、退屈な現実の向こう側にある「某(なにがし)か」を垣間見せてくれたなら、それは人生に彩りを添える“きっかけ”になるかもしれない。そんなものを無意識に欲している人は、ごまんと居ることだろう。
人は誰でも特別でありたい。気付かない自分の特性を開花させたい。自分がもっと活躍できる舞台が欲しい。人生半ばを過ぎていれば、「こんなはずではなかった」――それを実感させてしまう第一話の序盤は、実際には鬱ドラマである。
ピーターにライドして視聴者はコースターな気分を味わいながら筋に入り込んでいく。ところが、特別なのは自分だけではなかったことに、ピーターはさほど驚かないようだ。最初の仲間が女性(トランスジェンダー)であることや、仲間ができたことに、むしろ浮かれてしまう。
例えば映画「ブレードランナー2049」のKであれば、「自分が選ばれし者だと錯覚していた」ことを知ったとき、少なからず失意に繋がっていた。所詮、汚れ仕事をするスキンジョブに過ぎなかった、と。
俺が、FF14やスター・ウォーズ バトルフロントに初めて参加した時の失意を表すなら、丁度そんなものだ。バトルフロントの敵味方が入り乱れる集団戦闘では、銃弾一発で倒れる一兵卒でしかない。
シモーンの場合(第2話)の、自分(トランスジェンダー)を肯定できない失意に似ているかもしれない。
そして、俺の場合なら、最終話まで見たくなる誘惑よりも、視聴に要する時間(約45分×10話)の方にはるかに気分が重たくなってしまうのだ。良い語り手でも、人生の20分しか節約できない。それでは全然足らないというのに……
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