未来社会の空気感――実用化された空飛ぶ車(スピナーに非ず)、シェアリングされる公共交通網、(レハブアムにより)緑化された高層建造物、はたまた、ビジュアルではありませんが、象が死滅したという設定、などなど――は、控えめながらも、現代と地続きなそれらしさを醸し出しています。予算次第とはいえ、全てのあり得べき未来像を映像化するのはなかなか難しいはずで、一片を切り取った風景にCGIを駆使してみたり、未来的な建築物をロケーションしてみせたりした手腕は褒めるべきでしょう。
今回の焦点の一つは、なりすましたシャーロット・ヘイルです。中身はドロレス(デス・ブリンガー)のバリエーションであるらしいことが判明しており、前シーズンでバナード・ロウによって造られました。
シャーロットが(前シーズン最終話で殺された)ドロレスを(最後の場面で)再構築しており、今はドロレスがシャーロットに新たな指令を与えています。数の居る綾波レイが同時に存在したかのようなノリになっているわけですね。ウエストワールドでは、ホストの個性と人造の肉体は一対一で紐付いていましたが、このシャーロットに関しては特例です。
※以下ネタバレ
ホストが、外の世界で人間の振りをするのは、かなり難しいことが分かります。たとえ、BOOK(当人のプロファイル)の助けを借りていたとしても。まず、「礎」の問題があります。礎とは、人造人間であるホストが、最も大切に考える生き甲斐のことです。本物のシャーロットにとっては「ネイサン」が大切な者であり、それは彼女の息子(6歳くらい?)の名前でした。
なりすましシャーロットには、そうした人間関係や愛情がごっそり抜け落ちているようで、「送迎をまた忘れた」と、離婚中の夫に批難されてしまいます。しかも、息子からは、「ボクのママじゃない」と言われ、夫からも「嘘が得意だろ」と言われ、所詮はAIでしかない機械が鋭い本能と直感を持った人間達を騙すことは到底不可能なのだ、と視聴者には伝わってきます。もっとも、人間達には、ただの性格的な変化と受け止められていて、バレずに済んでいますが。
さらに、デロス社を水面下で操ろうと画策する「レハブアム」のアンゲロン・セラックによる敵対的買収が規定数に達し、不祥事を起こしたデロス社株を非公開にする道が閉ざされていました。デロス社CEOのシャーロットがその情報を得たときは既に遅く、度重なるストレスで、人造人間シャーロットは爪で肘の裏側(丁度、隠しソケットがあるあたり)を自傷してしまいます。内務部も社内に漏洩があることを突き止めてきます。
シャーロットは、本物が皮膚から入って体を取り戻そうとしているようだと司令塔のドロレスに訴えます。
もう一つの焦点は、管理社会の行く末に待つ衝撃の事実です。
オリジナルのドロレスは(第1話の)犯行現場で負傷し、未来社会の“はみ出し者”ケイレブに助けられて、偽警官の襲撃を躱します。ドロレスは善良なケイレブの人柄を認め、命を奪うことはせずに、名前を変えるよう忠告して、放免します。
翌日、ドロレスはケイレブの恩義に報いて、「昨夜の女の居場所」を吐かなかった彼を窮地から救い出します。
ドロレスはケイレブのほとんど全て――統合失調症の母が“カル”を置き去りにした2月23日の最悪の記憶まで――を知っていました。「レハブアム」が記録していたからです。個人情報法設立以前から人々の情報を与えられて、その“マシーン”は世界中の人々の鏡像を作り出し、利用していたのです。リアルワールドの人々を鏡像の通りに動かそうと。ケイレブもそんな押しつけ(composite)の犠牲者なのだとドロレスは教えます。
ドロレスの出自は、モラルを無視した享楽を与える為のウエストワールドです。ドロレスは人間にインプットされた役割を繰り返し演じていました――どこか似た者同士ですね。
AIによる管理は人々を導くのではなく、人々から自由意志を奪い、まがいもの(composite)の通りに振る舞うことを強要している……これが今回劇中で謳われたメッセージです。
「あなたは10~12年後に自殺するわ、場所はここ」
アルゴリズムによってこんな推測を立てられたら、確かにそれはお節介です。アマゾンでお勧め商品を提示されるのとはわけが違います。
ケイレブのスコア化された生き様が提示されます――社会評定:2.7、勤務評定:3.6。結婚非推奨、子作り不可。職業適性:人的および身体的労働に限定。軍人、肉体労働者、など。
「以前なら、まだ挽回もできた。でも、今は犯罪者くらいしか将来がない」
合理性のない不良投資は行われないため、クズ人間には重要な社会的役割が用意されないばかりか、結局自殺するということで投資対象になりません。投資されないことが結果を確実にします。つまり、ケイレブは自殺するしかない。
それこそまさに、ケイレブ自身が感じていた行き詰まり感でした。彼は柵に腰掛けて夜の海を眺めては、険しい顔で絶望を目の当たりにしていたのですから。
管理社会のリアルな究極を見せてきたところが、これまでのマザーコンピュータ・バージョンとは異なります。オーウェルの1984といった古臭い装いからは脱却しつつあるようです。
人間をグローバル資本経済の投資対象と規定するところが、今日ありそうな管理社会の恐ろしさです。そういえば、ジョージ・ルーカスの「THX1138」にも似た思想が登場しました。ロバート・デュヴァル演じる主人公が充分に逃げ切ると、追跡は無駄だから放棄されるという場面があります。
さて。ところが、管理社会に対し、ドロレスは革命を起こすと言います。ここが俺には関心できない。
ハリウッド映画もそうですが、表面上ユートピアの理想社会をいくつも描いてきては、そこにある実情が人権無視であると暴き、相容れないからと、根幹のシステムをテロリストのように徹底的に破壊してしまいます。日本も'80年前後にはこの手が流行って、機械の体をくれるという惑星メーテルの物語も同じシノプシスでした。
管理社会モノで唯一興味深い作品と言えば、ウォシャウスキー兄弟の映画「The Matrix」が上げられます。単なる反抗運動ではなく、周期的な破壊と再生が必然的に発生し、尚且つ救世主が都度選択して生き残らせるシステムと定義したところが面白い。ご存じのように、仮想世界であるマトリックスでは、人間の脳活動がコンピューターの処理能力を超過することが可能という設定です。人間がアイデンティティーを取り戻すには、意識を覚醒させればよかったのです。ここが従来の革命モノと違うひねりでした。
今回の管理社会の暴君はレハブアムですが、独裁政治の君主をひっ捕まえて、民衆がリンチするのとはわけが違うはずでしょう。どのようなひねりを見せて頂けるのか、今後に期待いたしましょう。
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