4話を見ました。ピカードの行動でどうにも疑問に思うところがあります。プロットとしては、「絡まれたピカードを青年エルノアが救い、旅の一向に加わることとなる」というだけですが。
惑星ヴァシュティにて、ピカードはロミュラン専用と書かれたカフェに、その看板を取って捨てると、乗り込みます――喩えるなら、50年代の北米で、白人専用と書かれた店にキング牧師が単身乗り込むみたいなものでしょうか。
ロミュランが大勢見守る中、ピカードはロミュラン語でハローを連呼し、おもむろにテーブルに着くと、バーテンをロミュラン語で呼びます。誰も答えません。すると、ピカードを認めるロミュランの一党が話しかけてきます。彼らはピカードの英雄的な行為がスターフリートによって反故にされ、難民の移住が中途半端で終わったと因縁を付けてきます。曰く「あんたの感動的なスピーチはロミュラン全員の心を動かした。なのに、あんたは約束を守らずに、俺達はこんな星に移住させられてしまった。我々の危機的状況を利用して、我々をバラバラにしようと企んだ!」
ピカードは何をしたかったのでしょう? 滅亡する本星から移住させてあげたロミュランが他者との融和にとても消極的なので、彼自身の身をもって何かを教えてやろうとしたのでしょうか。それとも14年前はこうではなかったということなのでしょうか。
「無垢なる自己を示せ」がタイトルの一部に使われており、そういうことなのか、とは思いますが。原題はAbsolute Candor――Candorは公平無私、虚心坦懐といった意味で、Absoluteは無条件の、純粋な、疑問の余地のない、といった意味です。
それにしても、ピカードの行動は何かを生む余地があるようには思えません。もはや宗教的指導者の強い信念といったものになってしまっていて、現実的な範囲の博愛主義、人道主義からは逸れてしまっているようです。エルノアをカランクカイ(護衛)にさせるためならば、説得力のある行為ではありましたが。
劇中(第一話)でピカードのことを「人道主義者として有名な」と形容したあたりで、「おや?」と感じずにはおれませんでしたが、ピカードの存在を釈迦か何かに喩えようとしているのかな、と思ってしまいます。折しも、惑星ヴァシュティの戦士修道女クワト・ミラットたちの装いが明らかに東洋風なので。
ジュラティ博士「無垢なる自己を見せよ(Way of Absolute Candor)とは?」
ピカード「もっとも重要な教えだ。思考と言葉の間にフィルターを入れず、あらゆる面での意思の疎通を目指すもの。それはロミュラン人すべてが大事にしてきたものに逆行している」
と吹き替え版の翻訳ですが、英語原文の方がわかりやすいかなァ。
"It's their primary teaching: total communication of emotion without any filter between thought and word. And it runs entirely counter to everything that the Romulans hold dear."
拙訳: 思考から言語へのフィルターを全く必要としない、完璧な情緒のコミュニケーションのことだ。これは、ロミュランが守ってきたしきたりとは真っ向から対立する。
「あらゆる面での意思の疎通」ではなくて「感情による完璧な伝達」なんですよね。ヴァルカンは論理ですから、その反対というか。
「逆行している」じゃなくて、「正反対のことだ」の方がいいと思うんですよ。ロミュランが従うには、とても抵抗がある教えなんだ、というわけで。
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