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Netflix配信ドラマの感想

下のタイトルに関する少々解題じみた感想です。
 ザ・レイン
 ウィッチャー
 NIGHTFLYERS/ナイトフライヤー
 ユピテルとイオ

※以下ネタバレあり。


■ザ・レイン(The Rain)

デンマーク製のドラマ。近未来ディストピアもの。

雨から感染する伝染性の病気で地表に居る人々はほぼ死滅する。

高校生シモーヌは、雨が降り出した当日、広がる雨雲から逃げるべく、父親の主導で母と弟ラスムスと一緒に車で高速に乗るも、転倒したトラックが道を塞ぐ。科学者である父は車を乗り捨て、一家を連れて、アポロン社の地下シェルターを目指して徒歩で森林に向かう。

シェルターに入ったのも束の間、父は「人々を助けられるのは自分しかいない」と告げる。「ここから出るな、弟を守るんだ。ラスムスこそ鍵だ。絶対に見つかるな」とシモーヌに言い残すと防護スーツを着用して森林に出ていってしまう……

視聴者の方が先読みして利口になれる演出。娘シモーヌの行動が愚かすぎて、見ている方はイライラする。最初から父の言いつけ通りにしていいれば、ネタバレなので言わないが、最初の犠牲者を出さないで済んだ。

極めつけは、この後シェルターで弟と二人だけで過ごした時間経過。なんだ、それは! 省略がすさまじい。

娘の回想から、父親の過去の言動にヒントがあることがわかる。弟のラスムスは父親が発案した特別な治療法で不治の病気を完治したらしいのだ。

アポロン社の研究者と思しき父親には、問題の雨と因果関係があるのだろう。この父親はかなり無責任な科学者だ。まず、高速でトラックが横転したいきさつも、彼のよそ見運転が原因。立ち往生したドライバー達を先導することもせず、彼は一家だけをシェルターに避難させる。当然、残されて雨に打たれた人々は感染してしまう。

第1話は密室劇のつくりだが、冒頭(雨による大殺戮)と末尾(5年経ちました!)の急展開以外にドラマがない。ボトルショー(低予算)っぽい見せ方で、似たディストピアものの多いアメリカ製とはまた違う展開に唖然。俺は第二話で中断しているところ。全部見ないセンが濃厚。


■ウィッチャー

第一話はイマイチ。第1シーズンを通しで見たら、退屈な展開のエピソードと、ノリの良い展開のエピソードとに割れる。第一話を視た限りでは、さほど予算をかけられないことが覗われる(ゲーム・オブ・スローンズを見たことがある人なら、なおさら)。脚本と演出によってエピソードの出来はまちまちのようだ。

ゲラルトはゲームを意識させる鎧を着用しているものの、イメージはかなり違う。若々しいボディビルダーが白髪のウィッグと黄色のコンタクトレンズを着用して演技している。男優はイケメンには違いないが、ゲームの老いぼれ感あふれる白狼(最初のゲームの設定はグレイト・ウォーから5年後)が好きだった俺はちょっと違和感を抱くし、左眉にあった傷も実写では再現されていない。吹き替え声優も違う。

なにより、ゲームのゲラルトは頭身が高いため、実写のマッチョ・イケメンはその筋肉のおかげで、甲冑の腕が短かったり、なで肩に見えたりしてしまう。さらに、ウィッチャーの使う印や秘薬の説明はドラマ中では一切出てこない。いきなり、三本指を突き出して衝撃波!は滑稽かもしれない。初見の人はさぞやチンプンカンプンなことだろう。

とはいえ、小説の冗長さでめげた人でも、ドラマなら我慢できそうだ。ゲームではキャラクター解説での描写しかなかったような、ゲラルトとイェネファーの、ジニー(*)を巡るくだりもエピソードに盛り込まれている。
 * 「ジニー」という呼称は、D&Dをプレイしていた俺らしい誤記。ドラマ中ではジン。

キィア・モルヘンは最初のゲームではケル・モランと英語発音されていた。後に統一されたようだ。今回のドラマもキィア・モルヘンで倣っている。そんな中で、ドラマではダンディリオンが別名で呼ばれていることに驚く。ゲームでも小説でも、ダンディリオンはダンディリオンのまま(=英語圏での呼称)だったからだ。

ゲームでは赤毛の白人だったトリス・メリゴールドは、ドラマでは、焦げ茶髪で天然パーマの浅黒い肌の女優さんが演じている。ゲームでの主要登場人物のほとんどは、ヨーロッパらしく、白人ばかりだったが、ワールドワイドのドラマでは――特にアメリカを意識してか、俳優にアフリカ系の登用が多い。

フリンギラが黒人というのは、かなり異質。めちゃくちゃ悪人じゃないか。

ドラマではエピソードによって時間の経過がかなりある。中には数年~数十年経っている時もあるらしいのだが、テロップでの表記がないため、視聴者は出来事の時系列がハッキリせず、かなり混乱させられる。特に、ウィッチャーや魔術師たちの見かけは歳を取らない設定であるため。

テロップと言えば、城塞都市の遠景には地名を被せてもよかろうと思うのだが、それもなし。シントラは見ているうちに分かるとしても、テメリアやヴィジマを遠景で見せることができれば、ゲームから入った人には親しみが湧いたはず。

フォルテスト王とストリガのエピソードは、初期ゲーム体験者には嬉しかったはず。ウィッチャーの戦い方もほぼゲームのまんま。最後に爪でやられるオチまで同じ。

物語はゲラルトとシリが再会するところで1シーズン満了のため、大局ではろくに進んでいない。見てから、ゲームのウィッチャーIIIワイルドハントをプレイすると丁度よさげ。


■NIGHTFLYERS/ナイトフライヤー

これが最大の食わせ物。ジョージ・R・R・マーティン原作の70年代の短篇SFを元ネタに脚色したドラマ。一言で表すと悪趣味。

どこかで見たイメージの借用ばかりで独創性も乏しく、エピソードもぱっとしないままのオンパレードで、その結果、見事に打ち切り。

冒頭の斧を持った狂人はシャイニングを彷彿とさせるし、植物のドームをつけた宇宙船は「サイレント・ランニング」か? 宇宙船のマザーコンピュータが反乱するプロットは「2001年宇宙の旅」の亜流だし、意識をコンピュータ網に電送するのは映画「マトリックス」やサイバーパンクのはしりというよりも、時代感のある古臭い「マックス・ヘッドルーム」を思い出させる。

出てくる超能力者はクローネンバーグ監督の映画「スキャナーズ」でしかないし、トランプ遊びが出来るほど仲良くなったのにアレとか、とにかく登場人物の描かれ方が酷い。

ヴォルクリンとの交流をきちんと描くなら、映画「メッセ-ジ」的なものになりそうだったが、前述の「2001年宇宙の旅」の「木星とイオの彼方」シーンを、アンドレイ・タルコフスキー監督の映画「惑星ソラリス」のオチで締めたような感じに終わった。ヴォルクリンから始まる謎は謎のまま残り、ほとんど消化されなかった。


■ユピテルとイオ

またもやディストピアもの。将来の地球を描かせると、今の流行は「生存不可能なほどの荒廃」や「人類存亡の危機」に行き着くらしい。

邦題が意図を汲もうと努力しすぎて不明になった例。ユピテルってのはゼウスだってことなんだろうけど、ちょっとピントがずれている感? イオというよりはレダだったしね。小品としては悪くないドラマだったけれども、テーマが弱いし、その割に時間が長い。「無人島に暮らす女王」的なお話しの一遍で、要はシングルマザーの心理だった。曰く、自分は故郷を捨てることはしないし、順応できる力強さを身に着けた。貴方のおかげで子供もできた。これからもこうやって生きていく(認知は求めない)。

「スタートレック:ディスカバリー」のショートトレック編「宇宙の恋人」と方向性がよく似ている。こちらは正味わずか16分にもかかわらず、マイフェア・レディに乗せた大宇宙の孤独と別離がよく描かれていた。決して沖に出ることの無い「女灯台守の初恋」といった風だ。
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[ 2020/01/17 15:33 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)
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