ス ク ラ ッ チ す る D

blenderでモデリング、海外ドラマ感想、洋ゲーRPG、のことを綴ります

スタートレック:ディスカバリー、アリやナシや?

全二シーズンとショート・トレック短篇をお終いまで鑑賞。ミステリ小説に喩えるなら、事件が惨憺たる結果に陥って、それでもなお、探偵が名推理を披露したことによって突破口が開かれて、あれほどの難事件が無事解決できた! というような内容だった。

一言で済ますなら、派手でエモい。SFというのはある種、理屈の積み上げで逆転――先の例で言えば、名推理――する筋書きがある。ゆえに、前半のヒントから、クライマックスの逆転劇を推理する愉しみがある。ともすると、理屈の飛躍がSFだけに突飛で、「その材料から、そんなことが出来るなんて思いもしなかった」ということもある。これは、未来技術的な裏付けをあらかじめ知ることができないせいだ。

「球体に遭遇したときの周波数を再現して○○の周期を人工的に早める」とか「胞子ドライブを起動させたままにして○○ネットワークの中に居続ける」とか。70年代パルプフィクションのスペースオペラを読んでいるような荒唐無稽な感じだった。

都合のよい荒技を光らせるために、整合性は特に重要視していないようにも受け取れた。ニューエイジっぽい発想もあるせいで、科学考証となるべき基盤すらない。道具立てがフィクショナルなので、深く考えたら負けだ。

ここまでが「派手」の部分。エモいに関しては……SFは割とドライな論理思考が採用され、終始落ち着いた調子が多い。人間ドラマは、弁護士ドラマの法廷シーンのようで、“全米が泣いた”のような感動巨編とは距離をおいている。「どうだい? 感動するだろ?」と見せびらかすような演出よりも、「なるほど、そういうことか」と、地味に響いてくるタイプの仕上がりになりがちだ。スタートレックという作品は、どちらかと言えば後者に属するものだと理解していた。

ところがスタートレック:ディスカバリーでは、主人公は英雄でありつづけ、その行動が他者へ伝播し、一丸となって物事に当たる。惑星連邦やその憲章、思想が理想論として機能すべきだとは思うのだが、一連の主人公達が危難を乗り切った先に待ち受ける運命を、いとも容易く一致団結のもと、受け入れてしまう。どうにも、こういう筋書きは苦手だ。

オリジナルの「さらば宇宙戦艦ヤマト」もやはり自己犠牲により他者を救う結末だが、あの沖田艦長が「古代、君にはまだ命があるじゃないか」と、特攻を諭すくだりから、「これの意味するところは別のものに違いない」という拒否反応が湧いて後味が悪かった。

スタートレック:ディスカバリーにはそういう雑味は上手く調理されて見えてこない。あくまで崇高な目的のため――全知覚生命体の末路を救うために、レギュラーメンバーらが進んで犠牲になっていく。犠牲と一口に言っても、(カトリーナ・コーンウェル提督を除き)命を落とすのではなく、現在には帰還できない片道切符の旅というだけだ。一人なら旅先で孤独に陥ってしまうが、仲間が居れば、それなりの村社会として機能できる未来がある。

ドラマの作りとしては優等生過ぎるのだ。英雄たろうと努力する姿には、幾度も挫折があり、紆余曲折を経て己を取り戻していく――確かにそこが見所ではあるのだが。現実で生活している私たちを重ねるには、あまりにも貴い。「ピカードやジェインウェイなら、こんな時どうするだろう?」両者とも、片道切符の旅へ仲間を誘うような境遇には、幸いなことにならなかった。だからこそ、比喩が利く。

「永遠への旅」で第1シーズンのピカードは出会ったばかりのクルーを勇気づけて裂け目へ特攻を図った。それは勝算あってのことだ。ジェインウェイも時空侵略戦争で特攻したが、左に同じ。生き別れにはならない! 

最初の頃、ピカードはQに翻弄されて間違った判断を下してしまった。老人になったピカードはイルモディック症候群で正気を失ったただの老いぼれにすら見えた。完璧な者など居ない! 語り口は稚拙だったかもしれないが、普遍がTNGにある。

スタートレック:ディスカバリーには普遍性が残念ながら乏しい。皆がマイケルのようにはなれない。ピカードを志すことはできるかもしれないが。

TOSのスポックが人間の中で孤立したのは、感情を捨て去るヴァルカンだったからだ、という筋立てには普遍性があった。それはTNGのデータのケースでも通用した。

マイケルはその育ちから半分はヴァルカンも同様で、既に十二分に理知的である。そのくせ、感情面もTOSのスポックとは異なって、恋愛こそ未体験だったが、愛情表現には不自由しなかった。マイケルの判断力、決断力には舌を巻く。その有能さ、即応力に親近感は湧いてこない。さらに、ストーリーに都合のよい駒としての働きが強すぎた。

運命的な筋立てはドラマティックであるばかりか、普遍性を遠ざけてしまう。感情移入しやすいのは、むしろ、ケルピアンのサルーのような脇役だ。ティリーは、視聴者代表の“一般人”として共感を呼んだに違いない。二度目の命を授かったカルバーが自己を見失って恋人を敢えて避けてしまう描写も、現実に通底するものがあった。

以上がエモいことの理由だ。過剰なエモは私の好みでない。
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[ 2019/12/29 17:15 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)
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