「自分だけを見つめてくれるアニメの女の子でオナってるんでしょ? キモっ」
by「詰(なじ)られ手コキ」中の小悪魔
ある時期――宅八郎(*)がTVで活躍していた頃、オタクは差別的に見られていた。が、今はそうでもない。
* Wikipediaを参照すると氏の名前を出すことは得策には思えないが、TV局側が作ったという風貌ゆえに、当時のアイコンとして非常にわかりやすいために挙げた。個人的な関係などは一切ない。その証拠に、メディアにはオタク趣向なコンテンツが山ほど見られるようになっている。AKB48出演のバラエティ、VTuber出演のトーク番組、かつてのオタク向けコンテンツをお笑い芸人達が熱く語る番組、などなど。
さらにオタクはビジネスを活性化させる原動力として、方々で採用されている。メッカの秋葉原電気街の装いはもちろんだし、地方のゆるキャラ、ロコドル(ローカルアイドル)、初音ミク、など枚挙に暇がない。
ソーシャルゲームが使う仕組みも、キャラ萌えであり、オタクがアニメの二次元キャラクターに入れ込んでいた最初期の構図を焼き直しているようなものだ。腐女子が入れ込むBLですら、市民権を得つつある。
そうした中で、エンパイアクラブのメイド達のセリフに現れる時代感覚はどこか古臭い。まさしく、宅八郎の時代に逆戻りしている。
傅きモード(ゲストモード)も顕著で、個性的で迷惑な客としてオタクが頻繁に登場する。
どうしてか、カスタムオーダーメイド3D2では、オタクは蔑視の対象として扱われる。メタ的にも面白い構図である。
COM3D2というのは18禁ゲーム、いわゆるエロゲーで、しかも写実的でない二次元寄りの画作り。それを遊ぶ層はオタクとも広く被っているはずなのだから。つまり、オタクはお得意様であるはずで、それを蔑視するネタを容れてくるということは意図的に見える。
オタク文化が蔓延した中で、広く“オタク”だけを迷惑行為の首謀者として描くのはたいへん危険だ。実際のオタクにはピンからキリまでいるわけで、とても外交的でコミュニケーション能力の高い者も当然いるし、オタクの有名人というのは大体そういう人である。
何かのオタクであることはスゴイ、とメイド達に一目おかれてもよさそうなものだが、そのような演出は見かけたことが無い。
そればかりか、オタク趣味を持つメイドがいない、というのも今のご時世、おかしな話である。
オタク達にアピールするならば、当然、共通のオタク趣味で盛り上がれるメイド、というテンプレが最低一人は居なくてはいけないはずだ。
開発者サイドもオタク趣味を利用して商売をしているにもかかわらず、リア充をスタンダードに据えたかのような世界観が垣間見えるエロゲーというのはいかがなものだろう。
少なくとも、ライターの何人かはオタクの迷惑者を登場させたり、詰るプレイという口実でメイドにオタクを罵らせたりすることで、自身の鬱憤を晴らしているかのように見て取れる。それは仕事の内容が役不足だという抑圧的感情ではないだろうか。
一般的なエンターテインメント性からはかけ離れているような偏見に立ったシナリオの作りが多いことからもライターの未熟さがうかがえる。
以前にも書いたが、仕事に疲れ家庭的な境遇にも恵まれない中年男性が、エンパイアクラブのメイドにサービスしてもらうというシチュエーションが、傅きモードの中で表現される例があった。しかし、その視点は弱者を鼓舞するようなものではなく、諦観への気づきを促すのみで、夢や希望、はたまた改革へと誘うもの、にはならなかった。負け犬を見て一緒に笑おう、という鳥瞰図であった。
今の時代、格差というものを考えずにはおれない。所得や社会的地位の格差、そこが元凶となる提供サービスの品質の違い。
誰もがそこそこの勝者であった中流階級の時代はとっくに崩壊した。高いところから見下ろせる者なんて、世の中にどのくらい残っているというのか。
時代感を捕まえきれていない文芸作品は人々から反感を買うかもしれないことを、ライターの人は理解しておくべきだろう。
「みんな言ってますよ、キモいって。そんなご主人様を見てあげるのは私だけなんですからね!」
by小悪魔
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もっと一般人にも広まってほしく、
癖の強い主人公像は合う、合わないが大きいと感じました。
いっそペルソナ4,5の主人公像だと受け入れやすいと思いました。
思ったことをつらつら書き綴りました。