マンダロリアンは、SW(スターウォーズ)ならではの要素を思う存分再利用できる秀逸なコンテンツです。JEDIメインとはならず、フォースもチラッとしか出てきませんが。
昔からTRPG(テーブルトークRPG)で、SWはいろんな会社から出ていましたが、このマンダロリアンは、映画でおなじみの旧三部作よりもRPG向けシナリオの参考にしやすいストーリーです。
純粋に冒険譚を紡いでいればよく、小難しい現代的なメタファーを挿入するような真似をせずとも成立します。CGIと資金・人材に優れたディズニーの底力で、アクションやスリラーやサスペンス、ちょっとしたヒューマンドラマを織り込んで、あとはスペシャル・イフェクツで料理すれば、できあがり!
スタートレックのスピンオフとはまた違った文法で成り立ちます。特にマンダロリアンは「宇宙西部劇」といった趣きさえ配慮しておけば、比較的、頭を空っぽにして楽しめます。旧三部作の若きルークの冒険譚を、主人公の異なるバージョン違いとして、引き続き見守るような案配です。
同様な実写スピンオフでは「ボバ・フェット The Book of Boba Fett」、「オビ=ワン・ケノービ」、「キャシアン・アンドー Andor」が上げられます。しかし、いずれも、毛色が違っていて、素直に評価しにくいところがありますね。例えば、ボバは映画のイメージが先行しているため、善人過ぎるところ。オビワンでは、子供のレイアが登場することや、ダースベイダーの扱いについての異論。アンドーでは、物語の展開の遅さ(ローグワンの設定にまだ追いついていないということ)。
さて、マンダロリアン第3シーズン第3話を視聴していて、とりわけ驚いたことがあって、書き留めておこうと思いました。それは新共和国体制のもと、アムネスティ・プログラムで、旧帝国軍の軍人達が更正しているという描写です。
まさか、娯楽第一のSWでこんな社会的な内容を入れ込んでくるとは思いませんでした。アムネスティ(大赦)という名称も現代地球のそれと同じです。こいつは、やられましたね。今のスタートレック:ピカードなんかには決して真似できない芸当で、数歩先を行ってます。
根底に思想(理想)があるかどうか、がこういうところに出てくるのでしょう。尤も、これもまた広く浅いポリコレの一種だと受け取られる可能性があるやもしれませんが――まぁ、見る人が見れば分かると思います。本来、こうした要素こそ、スタートレックの得意分野だったはずなのですが……時代とスタッフの移り変わりによって、かつての理想は散り散りになってしまったようです。
ところで、興味深いのは、第3話の主人公たるドクターが、社会復帰でL-52と番号で呼ばれているところです。名前に関しては、ドロイド並の扱いを連想させます。共和国体制下でも、人間が物のように大量生産の部品の一部であるかのような扱いを受けている描写が続き、良き市民ゆえの思考で違反行為に及ぶという顛末。どちらかというとAndorにでてきそうなドラマをなぞってます。マンダロリアンでは珍しい。しかも、まるで、時計仕掛けのオレンジ!
マンドーの話にこれが要るのかといわれると、現時点では疑問ですが、まぁ面白い試みです。
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