購入した動機は、体験版をプレイしたから。同開発スタジオのHeavy Rainの体験版に比して、より求心力がありました。
霊体であるアイデンをプレイヤーが操作するというアイデアにまず感銘しました(もっとも、ジョディの芝居にも介入してやらねばなりませんが)。主人公と結びついた霊魂が、時に主人公の望まないイタズラをしでかす、というコンセプトはゲームという特質に見合ったもので、さらにTVドラマ並みの物語が味わえそうに見えました。
Hunted章のヴァリアントの細かさにも、(最終的な結果はどのようにやっても同一にしかなり得ませんが)惹かれました。加えてストーリーに関心を覚えましたし、ジョディの逃避行はどうなるのか、先を見たいと思いました。
■プレイ環境
私は英語音声・英語字幕でプレイしました。日本語訳はどうしても文化的な違いを感じてしまう上、生々しいポリゴンキャラクターには、声主のエレン・ペイジの演技が必須だと思ったからです。
意味内容をはっきり認識したい時には音声を切り替えればいいわけです。吹き替えで真っ先に違和感を覚えたのは固有名詞の音(読み)でした。
AIDEN→エイデン
Norah→ノラ
エレン・ペイジさんの英語音声でアイデンと聞こえますので、それがエイデンとなってしまう日本語吹き替えはおかしく感じました。同じく、ジョディの母親の名前はノーラと聞こえます。
■初クリアの印象
「ジョディ、君にしか止められない」
riftを閉じることに終始してしまう後半の展開にやや幻滅です。ハリウッド映画鑑賞で例えるなら、駄作では無いものの、自分のライブラリーの中では秀作扱いになることはなく、二度と鑑賞しないで終わろう、という評価。
ただし、エピソード別に評価すれば、ヒューマンなドラマとしてよく出来ている箇所があります。
1) 幼少のジョディとDPAの時期
2) CIAエージェントの時期
3) 逃亡中に路上生活者となった時期
4) ナバホ族の牧場に居候した時期
5) 国防の作戦に徴用された顛末
時系列では上記のように区別でき、3と4はドラマとしてよくまとまっています。一方でゲーム的なアクションと策謀満載となるのが、2と5です。
■作中に出てくる超能力描写
だいぶ前、超常現象モノが米TVドラマで流行ったのをご記憶の方もいるでしょう。アンソニー・マイケル・ホール主演の『デッド・ゾーン』は私のお気に入りでした。主人公のサイキックが使える限定的な能力と、ヒューマンなドラマの仕掛け方が巧みで、毎回楽しみに視聴していたものです。
こうしたドラマで定番の超能力の使い途が、BEYOND: Two Soulsでも多数登場します。TVドラマや映画からの影響だと捉えることも出来ますし、説明無しに共通の認識を得られる為に用いられているとも言えます。
・触れた物体から経緯を知る(サイコメトリー)
・死者の魂を憑依させて喋る(口寄せ)
・物体を動かす(一般には念動力)
・上と関連して、いわゆるポルターガイスト現象の演出
(目を離した隙に椅子がテーブル上に積み上がる、突然に冷気を感じる、など)
・人間の精神と肉体を乗っ取る
・関連して、人体の負傷を治す
・同じく、人を窒息させる(ダース・ベイダーの得意技?)
考えてみると多分にゲーム向きな超能力で、小説や漫画でも散見されます。下地のあるプレイヤーにとっては、さほど突拍子な印象を与えずに受け入れられたことでしょう。本ゲームではアイデンが能力の媒介者であるため、理解し易い作りです。
■時系列でないエピソード
ゲーム中では、ジョディの経験がバラバラなエピソードに分解されて進展します。現在のジョディは全てを経験済みであり、プレイヤーは時系列でないまま、エピソードを通して彼女の追体験をすることになります。この手法には長短があって、リプレイ性のあるゲームならではの作為と言えるでしょう。
冒頭の保安官事務所は、ジョディが路上生活の末に頭部を負傷して入院し、追っ手がかかったことを知って逃げ出した直後に相当します。つまり、ある程度エピソードを体験しないと前後関係がわからず、煙に撒かれたままだというわけです。逆に、掴みはOKで、興味を引く場面から盛り上げるように構成することができます。
終盤のPrologue章まで進むと、エピソードが時系列でない理由がジョディ自身のモノローグによって明らかになります。さらにBeyondを選択していれば、より一層の感慨までも抱くことになるでしょう。
■リプレイ性
各エピソードの終点における結果は運命づけられており、プレイヤーが取る途中の選択や行動では覆らないものがほとんどです。しかし、「あの時、別の行動を取っていたらどういう展開になるのだろう?」という興味から、エピソードを反復する意義は残されています。それにより、1回目とは多少異なるプレイヤー体験をすることが可能です。原因と結果よりも過程を重んじるのであれば、リプレイも楽しめるでしょう。
■リプレイを経た上での感想
人間にとって死は避けることができないもので、中年にもなると友人や師、親戚の葬儀を少なからず体験します。身近に感じたことがあればあるほど、ジョディの感じる孤独や寂寥に共感してしまうものです。薄幸なジョディはそれこそゲームの中で始終メソメソしていました。
一般に、ゲーム的なお芝居の中には巧拙が同居しており、総じて拙が多いとさすがに興醒めしてしまうものですが、プレイヤーの個人的な体験がその欠点を埋めるかのように働いて、巧のみを抽出してくれる場合もあり得ます。なぜそうなるかと申せば、今回は人生につきものの死がテーマになっていたからで、私もそういうものを感ぜずにはおれない歳だからなのでしょう。してみると、全体の評価は初クリア時よりも高まります。
ジョディは女性ですし、若者の初々しい感覚なので訴求してこないというオッサン諸氏には、ウィレム・デフォー(代表作は世代的にプラトゥーンだよね?)演じるネイサン・ドーキンス教授というキャラクターがいます。彼には奥さんと年頃の娘がおり、ジョディを見守る目は保護者のそれです。Night Session、Haunting、Separationあたりが、ドーキンス教授の見所でしょう。不幸にして彼はマッドサイエンティストな方向へ舵を切ってしまい、その結末もゲーム的なご都合主義に見えてしまいますが、それでも何らかを補えるとしたら、それはオッサン諸氏の心の中にある力、ということになるでしょう。
ジョディは若者だけに、接する大部分は大人です。その大人には、良い例・悪い例、両方が出てきます(中には短絡的な悪役もいるのですが…)。ドラマに充分な厚みは与えてくれています。路上生活者のStanや、終生ジョディを支えてくれそうなCole Freeman(ところでフリーマンという苗字は、異世界への窓を扱ったHALF-LIFEへのオマージュでしょうか)。Ryan Claytonの立場になってみるのも一興です。目玉を失ってまで愛しているというのに、頑なに拒否されたら(プレイヤーのせいですが)、立つ瀬が無いですね。
AIDENの核心が分かるクライマックス。SF作家のP.K.ディック氏が存命だったなら、こんなゲームがあったよと教えてあげたくなる内容です。
終幕、どのエンディングを迎えても必ず出てくる悪夢の具現には、映画『ターミネーター2』を思い出しました。世界の終末と一少女(時に2人)の運命とを合体させてしまうところが、いかにもハリウッド映画的なノリで、ヒューマンな路線が好きな私としては閉口気味でした。しかし、それもまた微笑ましい一面です。諸手を挙げて、このゲームのスタイルを褒めることは躊躇われますが、良質なドラマが垣間見られたことは収穫でした。
QTE(クイックタイム・イベント)に関して。このゲームにおいて、QTEの運用は概ね適切のように思われます。なぜなら、緊迫感や主人公との一体感を出すことに一役買っており、一般的なアクションゲームの「イベント進行を成功させるためだけの反射神経によるボタン押し」とは別の意義を有しているからです。現に成功しないことで、主人公の肉体的な痛みが表現されるような案配です。失敗=即ゲームオーバーにはなりません。頻度はストーリーテリングを害するほどでは無く、Heavy Rainよりも抑え気味で、ドラマに集中しやすいと思いました。右スティックを傾ける方向(チュートリアルで言うところの矢印)がやや曖昧であるのは、若干の失敗確率を加味しているからなのでしょう。
欲を言えば。アイデン=プレイヤーの図式をより明確にして、ジョディへのプレイヤーの介入を一切無しとしても成り立つゲーム性を(当然、現在のスタイルだけではなく)確立して頂ければ、さらに新しい「ドラマ融合型アドベンチャー」の先鞭となったでしょう。登場人物の芝居をプレイヤーが補助することでストーリーテリングが進む今のスタイルには、些かの限界を感じるところです。訴えるテーマと今回のAIDENのようなアイデアが無い限りは、凡庸なものになりかねません。
スポンサーサイト