ゲームを遊んで個人的な感想をわざわざ書くことに莫迦らしさを感じつつある今日この頃。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
ダークソウル関連で宮崎ディレクターがイージーモードを実装しかねないと錯誤を与えるタイトルの記事が出ていますが、原文を読んだ限りでは実装はされないだろうなという印象が強いです。
“I am thinking about whether I should prepare another difficulty that everyone can complete or carefully send all gamers the messages behind our difficult games.” |
I am thinking about は「~を検討しているところだ」「考慮中だ」ということなのですが、「そんな風なことをよく考えるんですよ」的なニュアンスでご本人は発言されてるのかもしれないな、と。その辺は曖昧なので、私が訳すならこんな感じです。
『誰もがクリアできるような別の難易度を用意すべきなのか、あるいは、ゲーマー全員に私たちの難しいゲームに込めたメッセージを注意深く送った方がいいのか、頭を悩ましています。』 |
orで繋がった後者は、ゲームが難しいままでもそれに込めたメッセージが上手く伝わるようであればよい、という現状の肯定でもあるんじゃないでしょうかね。
前後もとりあえず翻訳しておきましょうか。元記事は
これ。
GameCentral:ダークソウルが難しいゲームと言われることは嬉しいですか? この評判は人々をどのくらいげんなりさせ、挑戦し甲斐があるという人はどのくらいいたのでしょう? あなたの経験上、カジュアル・ゲーマーはゲームを常に易しくして欲しがっているのでしょうか、それとも、これは単にゲーム産業によってカジュアル・ゲーマーが擁護されているに過ぎないのでしょうか?
宮崎英高氏:私のゲームは、難しさよりも満足度で表現されて欲しいと個人的には思っています。本質的に、難しさを使うことでプレイヤーに達成感を与えることを私は狙っています。
ところが、そのつもりであっても、ダークソウルはどちらかといえばやはり難しく、プレイを躊躇う人々が多くいます。この事実は私にとって本当に残念なことです。誰もがクリアできるような別の難易度を用意すべきなのか、あるいは、ゲーマー全員に私たちの難しいゲームに込めたメッセージを注意深く送った方がいいのか、頭を悩ましています。
とはいえ、ゲーマーは簡単なゲームを特に毛嫌いします。彼らが求める物とは、面白くてやり甲斐のあるゲームなのです。だから、つまらなくてやり甲斐のない要素である障害物やストレスは、最終的に取り除かれるのが筋だと思います。
今後も簡単なゲームばかりが増え続けるようなら、難しさはプレイヤーにとって面白さに直結しないし、やり甲斐のある要素にはならないからなんだと、私は推測するでしょう。 |
イージーモードに言及されていることがこうも取り上げられるのは、
EDGEなどで
“I have no intention to make the game any easier,” says a defiant Miyazaki. “In fact, I want it to be more difficult. The way I put it to my team is that we are trying to make the most difficult game that it is possible to make, which at the same time can be conquered by those who persevere. It has to be firm, but fair. (訳)「ゲームを易しくするつもりはありません」と反骨精神の宮崎氏。「むしろ、もっと難しくしたいのです。開発チームに取りかからせる際には、可能な限り最高難度で、且つ、忍耐強いプレイヤーならクリア出来るように、ゲームを作成するよう心がけています。堅固でありながらも、フェアでなければなりません」 |
などと語っているからなのでしょう。基本的に高めの難度で作ることを考えているディレクターの言葉としては極めて異例に映るのです。それゆえ、英語圏の書き手が言葉尻を捉えているところが興味深いですね。
なんて書いたまま、投稿が遅れていたら、やっぱり訂正が出ていました。
Miyazaki backtracks over Dark Souls difficultly levelNamco Bandai has claimed that talk of an easy mode being added to Dark Souls is a ‘mistranslation’, and that the game will maintain its current difficulty in the future. (訳)ダークソウルに付加されるというイージーモードのくだりは“翻訳ミス”であり、ゲームの難度は将来も変わらないままです、とナムコバンダイは述べた。 |
私の立場はイージーモード肯定派なので、本当に搭載してくれるのであれば喜ばしいところでした。単純に肯定派などと書くと、理解されないでしょうが、ゲームは百人百様の楽しみ方があって然るべきで、難しいと感じる人がいるなら、その人にはイージーモードがある方がいいわけです。シングルプレイのレースゲームを思い浮かべてください。CPU相手のレースで3位以内に入ることができないようなレースが楽しいでしょうか? ゲームが多様な娯楽のひとつに収まって以来、楽しさや体験が追求されてきているわけですから、各人各様の程度(深さ)に沿うための備えがゲーム本体になされることは非常に大切だと考えます。
また、難度を鞭とするなら、飴という報酬もセットであるべきでしょう。レースゲームなら銅・銀・金で表現されるように。反復ができる前提なら、銅を取ったプレイヤーは次は銀を狙うでしょう。難しさをアピールする時には、適切な対価の候補はいくらでもあるわけなのです。ダークソウルには、そうした報酬の概念が無いという指摘はよく目にします。
体験ひいては新鮮味(「鮮度」と言い換えてもよいでしょう)について、私は特に重要視するところなのですが…。いわゆる「覚えゲー」や「死にゲー」で攻略するということは、鮮度が徐々に欠けてきてしまうと思うのですが、そこは皆さん気にされないのでしょうか? 体験がキーエレメントであるゲームでは、よく言われるように「作業感」といった飽きがきてしまうとゲームの寿命が縮まります。酷い場合にはプレイヤーはクリアまでモチベーションを維持できず遊ぶのを止めてしまいます。
答えの分かってるパズルゲームは、まず面白くないですよね。面白いとするなら、それは解法が複数ある場合だけでしょう(SpaceChemのように、より効率の良い解法といった)。解法の探求は知的な好奇心なので理解できなくもないのですが、アクションゲームのボスの倒し方はダークソウルのように複数(剣で倒すとか魔法で倒すとか)あったとしても、それは知的な好奇心を喚起しない気がします。何故かと言えば、倒すことが目的であって、「経過」は重要視されないからでしょう。この時、ボスを倒すという行為の経過が楽しければ、ある程度は熱中できるでしょうが、やはり習熟のために繰り返しとなる時点で、その頻度如何で飽きがきてしまうことでしょう。(くれぐれも他人の飽きっぽさを攻める真似はしないでください。論点はそこではありませんから)
仮に経過が楽しめたとしても、もう一度別の倒し方で同じボスを攻略したい、ということが叶いませんよね(少なくともその時点では)。
その上、ダークソウルでは前述の報酬制度が無いせいもあって、倒し方の多様性を求めても評価されません。アーケードゲームであれば、ノーコンティニュークリアなら得点数に還元されるわけ(*)なので、やはりゲーム性としてはダークソウルよりも数段マシと思えてしまいます。
* コンティニューすると切りの悪い数字になる。
話が逸れましたが、ダークソウルの場合ですと、「難しさ」といった単語で抽象的に単純化されてしまいますが、本来は難しさを感じさせる要因となったゲームバランスや、難度を構成する具体的な方法の在り方について言及して然るべきでしょう。このゲームの虜になって遊んでいる人達はそのことを独特の表現で語るので、一見さんにはまるでチンプンカンプンですが。
件のキーワードらしきものは、某掲示板やアマゾンのレビューなんかでも目に付きます。挙げてみましょう。
弱体化、特化ステ、ケツ掘りゲー、属性武器、スーパーアーマー、ロマン武器、マラソン、スタブ厨 |
この中にはダークソウルを端的に表す単語も少なくないと思います。こうしたキーワードを切り口に難度の在り方を論ずることは有意義でしょう。生憎と私はまだ初心者の域を脱することができず、細部を多角的に語ることはできませんが。
一遍通りの「難しい」という表現に関しては、「マゾゲー」という表現を私は推しますね。さもなければ、「○○が面倒くさいゲーム」とか。○○は「移動」など。
ボスの攻略よりも、結果的に『
雑魚という障害物を如何に避けて、または退治しながら、如何にノーダメージで篝火まで行くか』の方を強く求められるゲームデザインになってしまっていると思います。これって、難度を云々する以前に、かなり面倒くさい、手間暇ばかり要するコンセプトになってしまっているような気がするんですが…。つまり、『だから、つまらなくてやり甲斐のない要素である障害物やストレスは、最終的に取り除かれるのが筋だと思います。』なんじゃないのかな…と。この妙な縛りというか面倒くささが、ある種のマゾさを感じさせる一因だと思うのですが。
マゾという表現がお気に召さなければ、“ストイック”とでも読み替えてください。