Witcher 2への
雑文に関して
“プロットがプレイヤー不在であるかのように進むばかり”という意見に納得いかないという忌憚ないコメントを頂いたので、私がこれを書いた根拠を改めて述べようと思う。
◇
…お暇な方は以下の駄文を読んで頂ければありがたい。お時間の無い方向けに、別の言い方でごく簡単にまとめると、私の本意は、
プレイヤーがゲラルトを動かしている時間がつまらない。少なくとも私がプレイ途中の現時点では。物語が劇的な進展を見せるのは主にイベントシーンであって、その時プレイヤーは見ているだけも同然(介在していない)。この有様で分岐を選べることが長所であるのなら、私はビジュアルノベルで充分なのではないかぐらいに感じた。 ◇
まずは類別から。進行する物語にある比較的短い区切り。これを「
場面」と呼ぶとする。場面が積み重なったり、あるいは途中の諸々が省略できるほどの大きな流れを作ったものを「
大局」と呼ぶとする。
Witcher 2の
大局は、プロローグ+Chapter 1+Chapter 2+Chapter 3+エピローグの合算だと言えよう。でも私はまだChapter 2のIorvethルートの途中までしかプレイしていないので、生憎と全体像は知らない。なお、ゲーム上のChapterという区切りはここで言う「
場面」には相当しない。場面はもっとずっと短い単位だ。ひとつのダンジョンであるとか、あるクエストの途中で立ち寄った部屋でのイベントであるとか。
ご承知のようにWitcher 2にはストーリーラインの分岐がある。最初の大きなものは件のChapter 2でのVernon Roche側につくか、Iorveth側につくかという二択だ。
二択をプレイヤーが行うことは物語の
大局に介在する証左ではある。が、この大きな変化を除けば、各
場面の進行には影響がない。枝別れする方向を指定したに過ぎないのであって、内容は枝ごとに決まっている。AルートならAルートに用意された場面を、BルートならBルートに用意された場面を、それぞれこなしていくに過ぎない。究極的にはシンプルなビジュアルノベルの構成となんら変わらない。
こうも言える。
場面のいくつかで少々の差異を生じることが許されているとしても、それは
大局には影響しない。些末なものを消し去っていって残ったものだけで語れるのが大局でもあるからだ。
したがって、プレイヤーが居ようが居まいが、最初の選択肢を終えた後は(次の選択肢が出てくるまで)ただ転がり続ける玉なんである。作りの上手いゲームであれば、ここで場面ごとに巧みな変化を与えたり、縛りがないという幻想を抱かせるに十分なフリーローミングをやらせてみたりする。
Witcher 2がイマイチだと私が感じるのは、
“今作は合間のフリーローミングがしごくお使い然としていて、大きなプロット中の雑用がチンケすぎる”からだ。つまり、場面の積み重ねが下手だというわけ。Saskiaに毒が盛られた後のフリーローミングが私に言わせれば宜しくない。子供達が話し手を急かすような「それからどうなるの?」という気持ちを私も抱きつつ、早く先を見たい一心でゲラルトになりきるのだが、このフリーローミングでむしろ停滞してしまうんである。
場面という最小単位から総体である
大局へ戻すには、いわゆるメインクエストを積極的にこなすしかないわけだが、そのための環境が極めて悪い。クエストが些末なものに思えるし、行うのがしごく面倒だし、どうせ大局とは無縁という意識が強まってしまうからダレる。
ゲラルトには、Saskiaの解毒薬に必要な材料の調達と、戦場にかけられている呪いを解呪するマジック・アーティファクトの奪回、が課せられる。途中はどうであれ、「ハイ、調達できました」「ハイ、奪回しました」と、ボタンひとつで先へ進んで頂ければ文句はない。Witcher 2を小説や映画のように鑑賞していると、そうならないところが困る。ゲームのプレイヤーからすれば、この過程が堪能できる作りでない方が困る。二律背反だ。
舞台はごちゃごちゃしている。高低差のあるVergenというドワーフの町は探索が面倒でいけない。クエストマーカーに高低差を示すものが無いから、その場所に来ているはずなのに目標の人物が見えないということになる。しかも、この人物が屋内に居るのか屋外に居るのかすら、はっきりしない。
Skyrimと比べてみれば、不便な理由がよくわかる。Skyrimではクエストの対象が屋内の人物を差すときには戸口にクエストマーカーが表示される。扉を目指せばいい。扉は通用門だろうと裏口だろうと一律にアイコンで表されるので、目的地を見失うということはまずない。
Witcher 2では、扉はアイコン表示ではないので、地図上で戸口らしき場所を把握する必要がある。クエストマーカーは対象人物そのものを差すので、その人物が屋内にいるのだとするなら適切な戸口へ向かう必要がある。ところが、前述のように高低差が邪魔をする。とても紛らわしい。道の真ん中や建物の傍にクエストマーカーがある時は、その人物が『地下の屋内』にいる場合だってある。
更に、建物の造りが地図からは把握しずらい。どの扉がどの建物のものなのか、どこが誰の部屋であったのか、なかなか覚えられない(私が歳のせいで記憶力や空間把握力が追いつかないのかもしれないが)。扉の外見はと言えば、同じ朱塗りで、むしろ違いを探す方が難しいほど複製による配置で済まされている。おまけに高低のある入り組んだ路地で、目的地へ至るのがどの道であるか判断に窮する。
以上は一例に過ぎないが、かようにWitcher 2のプレイに我慢できるかどうかは、機能性を欠いたインターフェースによる問題を大と見るか小と見るかに関わってくるのである。
こうした悪条件で雑用のごときクエストを積み重ねて大局が動くまで粘るのは、私には耐え難く、時間を割くに見合わない。つまらんと言うのは、概ねこれのせいだ。
“肝心のストーリーを追う上で主人公のみみっちい選択肢とか行動なんかは邪魔なだけではないかい? あるだけ面倒ってもんだろう。なんたってそれに付き合わされるこちとら、全然面白みを感じないんだから。”である。
まぁ頑張って大局が動く瞬間まで来たとしよう。それでも、結局のところ、選択肢ひとつで右か左かという行方は決まってしまうわけだ。当然、この行方ってのはあらかじめ用意されている。プレイヤーが真に介在していると感じるには、主人公の立場を自然に受け入れることができて(あるいは役柄になりきれるだけの『おだて上手』があって)、能動的にこうなって欲しいと望んだり、「自分なら絶対にこっちしか選べない」といった、自発的な動機やロールプレイを奨励させるほどの力がゲームから溢れてこなければならない。選択肢自体だって、プレイヤーの関心事を巧みに突くものでなければならない。
私がWitcher 2でゲラルトを動かしている時、そういうしっかりとした手応えは無かった。反して、前作では多少なりともあった。だから、
“プロットの方はといえばプレイヤー不在であるかのように進むばかり。介在できている気がしない。”となるのだ。
ちなみに、steamのComplete Chapter 2(Ale Iacta Est)のGlobal Achievementsを参照すると33.8%である。物語の中盤あたりを終えた人は全体の半分に満たないようだ。Reach the Epilogue of the gameが30.1%。Finish the Prologueが71.7%。Chapter 2をやり終えた人は概ねエンディングまで至っていると考えられるが、プロローグを終えた人の半数余りはChapter 2を終えるまで保たない。

機能的なゲーム内マップの例(Skyrim)。プレイヤーキャラクターが屋外にいて、目的の人物が屋内にいる場合には、扉にクエストマーカーが付く。

クエストマーカーの浮かぶ「金色の扉」が目的地。マップと画面上部のコンパスによる誘導の組み合わせで高低差のある入り組んだ路地を持つ町でも人捜しで迷いにくい。

対してWitcher 2では、クエストマーカーは目的の人物そのもの。舞台は高低差があり入り組んだ路地を持つ町。マップ上では目的の人物のすぐ隣にいるはずだが…。

名前を見ると、このドワーフ三兄弟はSkalen Burdonではない。右上の○内はミニマップを上のマップ画面と同じ向きに揃えた画像。確かに隣にいなくてはいけないのだが…。

実は、Skalen Burdonは自分の部屋のベッドで寝ている。ここは地下に相当するので地上の道ばたをいくら探しても見つかるわけがない。この建物の入口はクエストマーカーとは少し離れたところにあるが、Skyrimのように特別に図示されるようなことがなく、迷いやすい。