Cobweb of にーしか

モデリング、海外ドラマ感想、洋ゲーRPG

Hypeというマーケットコントロールと売り逃げ

アーマードコア6の序盤チュートリアルに、あのような面倒くさいボスが登場するのは、ある種の炎上商法を狙ってだと思われます。

善意の開発者(がいたとするなら)としては、あのヘリを突破するとトレーニングモードがありますし、一通りの基礎事項を教わることができますから、買ってくれた人たちのわくわくを盛り上げるための、あくまで軽いジャブとして用意したものだったはず。

それなのに、処理が面倒くさい難敵になったのは、ひとつは調整不足――追いすがるとエリア外になってプレイヤーの攻撃が届かない――もあるのでしょうが、おそらく狙って必要以上に硬くしたり、タフにしたり、常時撃ってくる状態にしたのでしょう。

特にsteamでマニュアルすら与えられていない初心者は、ブレードの二回斬りも知らないし、マガジンの再装填も知らないし、スタッガーがなんであるかすら、ゲーム内の序盤“チュートリアル”では説明がないのです。これはちょっと問題でしょう。不親切極まりないのですから。

しかし、このおかげで、SNSで話題になり、トレンドのキーワードになったのですから、マーケッターとしてはウハウハです。まさに読み通り。もはや、こうした商法で売り切るしかない、そういう世知辛い世の中なんでしょうね。高額のガチャで一人一人から搾り取る商法となんら変わりないです。

いいゲームを作れば、その内容に応じた良い評判で売れる、こういう考えの営業はもう死滅したのでしょう。今は、いかにして評判を生むか、そして、時流に乗って売りまくるか。それしかないのです。浅ましいですね。そもそも開発にさしたるカネや時間を割くことを許してくれない業界では、瞬間的な勢いで売り逃げることを前提としたコンテンツしか用意できません。

ステージの多様性や数、カスタマイズの豊富さは、要する開発期間や費用から逆算すれば損でしかありません。その無理な要求を満たす仕様はといえば、あのような計算されたボスに対応するためのパズルピースという解法になるわけですね。難敵のボスと戦闘前チェックポイントのおかげで何度でも手合わせできる、戦闘マニアには堪らない仕様です。

面白さや楽しさが備わったプレイフィールであれば幸いですが、往々にして、この手の横着したコンテンツには相応の犠牲が伴います。ダークソウルのような死にゲーの分野は、省力化された開発面でも成功できる数少ないレアコンテンツだったことから濫用されました。世間がこれをよしとすれば、大成功。そうでなければ、単に売り逃げるだけです。そもそも大して投資していないので、傷は浅くて済みますし、マーケターとしては作戦通りです。風評が悪く出るようなら、将来的な客は寄りつかなくなるかもしれませんが、どうせ次は無いのですから、関係ありません。また違うIPを食い潰せばいいだけです。

そうしたマーケットコントロールができるように、インフルエンサーに事前にゲームをプレイして貰ったり、プリビューをしてもらったり、宣伝に関与した行為の比重(予算)が高くなっていくわけです。本末転倒と言いますか、嘆かわしいところでありましょう。あるゲームの熱狂的なファンでいられるか、それとも“信者”でいるのか、そして利用されてしまうのかどうか、これらをリテラシーとして考えると、相当に複雑怪奇な社会工学と関連していることに気が付かずにはおれません。

「たかがゲーム」では、済まされない市場原理に支配されているのです。それは、もはや株式や金融商品と同じです。
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[ 2023/08/26 06:51 ] 考察 | TB(-) | CM(0)

NieR:Automata考察

本作品に見られるキーワード
滅びの美学
・サブカルでよくある鬱展開
セカイ系

滅ぶ原因の「ヨルハ計画」
・新しいモデルに代替わりする時期に発動する(時限式)
・密かにポッドがその役割を担う(パーソナルデータ全てを削除する)
・論理ウィルスがヨルハ型アンドロイドのバックアップから感染する
・バンカーのサーバーとネットワークにぶら下がっているアンドロイド全てに共通
・機械生命体にもネットワークがあり、実は月の人類サーバーに侵入して情報を引き出している
・だから、機械生命体は人間臭い活動を始めるようになっている
・当然、ヨルハ計画の論理ウィルスにも感染する
・バックアップを延期していると論理ウィルスに感染しないで済む(2Bと9Sが感染しなかった理由)
・論理ウィルスは濃厚接触によっても感染する(感染した部品を付ける、ハッキングする)

論理ウィルス
・自殺、自滅、仲間を攻撃する、相手構わず敵対的になる、などの症状が出る
・外見的な特徴:目が赤く光る
・ただし、敵意は選択的で、ほぼ間違いなくプレイヤーキャラクターに向けられる

機械生命体のコア
・ヨルハのアンドロイドのブラックボックスの元になっている
・両者は同じ種族も同然

殲滅作戦後、2Bは感染したヨルハ部隊から攻撃されまくる→リョナ展開

イヴの「にぃちゃん」
・NieR Replicant ver.1.22474487139...の中でヨナが「おにぃちゃん」とよく呼びかけている

9Sの凶行
・機械生命体への憂さ晴らし(命令とは無関係に)
・A2への復讐(2Bを殺されたという誤解)
・捨て駒だったという絶望「もうどうでもいいんだよ!」

赤い少女
・前作の忘れ形見らしい(ヨナ?)
・機械生命体の親玉
・本作の黒幕
・目の色を見る限り、赤い少女は論理ウィルスの影響下にない
・論理ウィルスを用意した側ではない?
・ヨルハ計画とは無関係?

トルゥーエンド(Eエンド)
・パーソナルデータと記憶があれば、個体を復活できるらしい
・パーソナルデータとは個体ごとの基本データらしい

絶滅を逃れるだろう機械生命体
・ネットワークにぶら下がっていない機械生命体は論理ウィルスの感染を免れた可能性が高い(パスカルの村の住人、森の王の僕)
・塔の中で9SとA2を襲った、赤い少女の手先を考えるに、論理ウィルスが機械生命体のネットワークの深部を侵す前に、何らかの対策が講じられたようだ(防壁の展開、ネットワーク切断?)

2Bの正体
・2E
・スキャナーモデルを処刑する役目
・1周目9Sの首を絞める場面「もう、また」
・A2「2Bはいつも苦しんでいたよ」

論理ウィルスの削除
・A2の行為からすると、自分の身を犠牲にすれば、(誰かの)論理ウィルスを除去できるらしい

突っ込みできる箇所
例えば、以下のように物語の展開を方向修正することが可能と思われる。

・パーソナルデータと記憶があれば、個体を復活できる
 9SはA2から2Bの記憶(刀)を受け取って、パーソナルデータから新しい義体を作って記憶を戻せばよかった。(プレイヤーが9Sの決断に介入できたなら)

・9Sを説得できなかったA2のツンデレ姉御肌
 十分に説得できれば展開が変わった。(プレイヤーがA2の決断に介入できたなら)

・アダムをそもそも殺さなければいい
 9Sが良心を強く発揮し、2Bがデミサイコパスでなかったなら、あり得た。(プレイヤーが2Bの決断に介入できたなら)

・イヴを殺さなければいい
 9Sがより理性的で真実を咀嚼していれば、あり得た。(プレイヤーが2Bの決断に介入できたなら)

心療内科から見たサブカルの主人公
・2Bはスキゾイドパーソナリティ障害だから、あのような、よそよそしい性格?(スキゾイドちゃんのイラストをみて欲しい。まさに2Bではないだろうか?)
 なぜなら、いつも9Sを処刑していた2Bの苦悩は計り知れない。そばにいる9Sにそのことを隠し続け、それでもなお同僚たる9Sを毎回殺害する行為を続けなくてはいけない。ただ「苦しんでいた」だけでは済まないことが窺える。
 仲間へのウィルス感染を避けるため(もう全員感染してるのに)、できるだけ誰も居ないところへ向かう。優しい性格の反面……
 2B「いい加減、壊れろ!」
 ……と容赦ない面も。

・後半の9Sはどちらかというと、反社会性パーソナリティ障害(ソシオパス)に該当する。
 A2「うすうす感じていたんじゃないか?」
 既に潜在的にストレスを受けていたので、爆発するのは時間の問題だったのかも?

・9S、2B、イヴ、三者はいずれもデミサイコパス
 セカイ系なので、仲間だけが生き甲斐。

本作が哲学ねぇ……
厨二病的なNieR:Automataにノレなかった大人の皆さんには、HBOのウエストワールドをお勧めします。Cognitive plateauのくだりは実に哲学的ですよ。NieR:Automataの雰囲気でしかないテツガクとは大違い。第2シーズンと第3シーズンがお薦め。ちなみに、2Bがオタクの萌えなら、ウエストワールドのそれはエヴァン・レイチェル・ウッドのヌードですかね。

日本人のクリエーターはサブカル的な作品に、それこそ魂や神といった、一神教であるキリスト教のモチーフを多様しがちです。にもかかわらず、それらにクリスチャン臭があるかというと、全然そんなことはないんですよね。ウエストワールドを見ると、その濃厚な匂いがプンプンしてきます。NieR:Automataのキャッチに出てくる「神に弓を引く」ってのは、ああいう連中の作るドラマにこそ見えてくるんですよ。「これは運命論か。それとも自由意志か。」ってな具合に。造物主たる神を、そんな視点で意識せにゃアカンの?っていうくらい。こいつは是非、視聴して体験して欲しいです。
[ 2023/03/27 09:26 ] 考察 | TB(-) | CM(0)

なぜパスカルおじさんは女声なのか?(NieR:Automata)

まず、機械生命体のパスカルが男性であるという証明。それは、機械生命体の子供達が「おじちゃん、遊ぼう」と言っているから。

そして、本題。なぜパスカルおじさんは女声なのか?

正しい答えは、パスカル役・悠木碧さんインタビューの中で語られている。

これを読むまでもなく、私はゲームからこう受け取った。
「クソ親父はオネェを見習え」
これはオネェを卑下しているわけでは、絶対にない。ゲイバーに居らっしゃるオネェは、よく気の付く優れた素質を持つ聞き手、というステレオタイプのことを指しているからだ。

親父の総オネェ化現象である。

しかし、昭和の頑固親父に、この手のことを推奨して、どんな無理が生じるかは想像に難くない。

親父自身のアイデンティティー喪失に繋がるし、そうしないと周囲が受け入れないと考えるのは非常に今日的なコンプライアンスだろう。むしろ、そうしたクソ親父を周囲が受け入れるという受容にこそ、人間臭い意味があるようにも思う。

自己否定に繋がりかねない偽りが、果たして真の融和をもたらすのだろうか? パスカルは進歩的で平和推進論の勇敢な指導者だ。しかし一方で、その周囲への気遣いは、セルフスティグマの一種に見えるような気もする。

ところで、皆さんにも経験は無いだろうか? 話しかけてきた強面のオッサンが、意外と親切な紳士だったりしたことが。

中学生の頃、無理に見えるくらい、気を遣って優しい口調で話しかけてくれたオッサンのことを、私は今でも思い出せる。そして、逆に、ただモジモジしているだけの小学生の私に向かって、特に非があったわけでもないのに、恫喝して命令に従わせた、痩せ型のクソなオッサンのことを、今でも覚えている(そのオッサンは後年ガンになって死んだ。オッサンに成長した私に、役職上の頼み事をしにきたことがある。彼が昔のことを覚えていたかは、今ではもう分からない)。

有為転変は世の習い。移り変わるは浮き世の習い。今風の言い方だと、ブーメランは自分に返ってくる。

自分への戒めを考える年齢と、地球が狭くなってハラスメントや不寛容が見過ごされなくなった世の中に暮らしていることを――世間の常識が時と共に移り変わることを――よ~く理解しておかないといけない。

例えば、シン・ウルトラマンで、今のお客さんは長澤まさみに対するセクハラ描写を問題視する。作り手に、価値観のアップデートが足りていないから、という批判もある。一方で、原作由来の擁護をしてくれる理解者もいる。

世知辛い世の中なのか、それとも、本来こうあるべきなのか? オープンに議論されるということが、着実に進歩している証拠だと信じたい。
[ 2023/03/25 01:43 ] 考察 | TB(-) | CM(0)

サブカルとしてのNieR:Automata

NieR:Automataにおける主要な登場人物の演出では、暴力と死が主に描かれる。ところが、使われているのはサブカルの直情的で短絡的な表現である。だから、復讐に狂う様子が絶叫台詞で表される。私がこの作品を稚拙に感じるのはこの表現方法ゆえなのだが、以下に説明するロジックを考慮すると、作り手は敢えてこの表現手法を使っているのかもしれない。

2Bはサイコパスか?

3周してゲームを一通りクリアすると、2Bの内面に対してある疑問が浮かぶ。2Bはクールで感情を表に出さず、任務に忠実な優等生として、プレイヤーの目には映る。でも、「いい加減、壊れろ!」(プロローグの他にもう1カ所ある)という台詞が代表的なように、怒りと破壊行為を肯定的な発露とするのが彼女の立場なのだ。

A2の証言によれば、2Bという型番は偽装で本性は2Eであり、スキャナータイプに対する処刑人(Executioner)だという。そして、スキャナータイプはいずれ事実に気がつく潜在能力が、司令部から不安視されているという。

すると、2B(2E)の9Sへの親愛の情が問題となる。2Bは9Sを大切な存在として認識していたことが、イヴ戦のクライマックスで明らかになるが、9Sの首を絞める場面には疑問符がつく。

まず、大前提は、9Sを殺すと“今の”9Sが失われるということ。ヨルハ部隊の全員は定期的にメモリー(記憶)をバックアップされている。したがって、擬体が失われても、多少巻き戻るだけで済むことになっている。

物語上、1周目ではその描き方が曖昧で、特にイヴ戦の9Sは修復されて復帰したばかり。バックアップは当然したはずと思いがちだが、2周目の9S側の描かれ方によると、2Bと9Sは敢えてバックアップを見送っていたという事実が明るみに出る。

9S退場後からイヴ戦までに単独先行していた2Bは、この事実をどうにかして共有した上で、9Sの絞殺に及んだようだ――さもないと、「今の9Sが失われる」という台詞が出てこない。1周目では見過ごされやすく、この辺を事前に説明する明確な台詞はなかったかもしれない。例えば、プロローグ後の9Sでは、バックアップが間に合わず、自爆の記憶がない、という台詞の説明があった。

さて、本題だが、2Bはイヴの影響で感染した9Sを自らの手で絞殺せねばならない状況に陥り、クールなこれまでを覆すように、過剰に苦しみと哀しみを表出させた。

となると、9Sを毎回処刑していた記憶は自覚されていないのだろうか、という結論にならざるをえない。つまり、自覚されていれば、隠れたサイコパスの素養があってもおかしくない。

2B「9Sを殺していいのは、アタシだけ!」

……そうなっていはいないことから、2Bは9Sを殺した記憶を消去されているのだろう。過去に何度かそういうことが起きたと仮定すると。今回が初めて、ということもあるかもしれない。もしそうならば、A2は最近の事情に非常によく精通している、“過去モデル”だし、脱走して日が浅いということなのか。

A2「2Bはずっと悩んでいたよ、君を殺し続けることを」
これは新たに起動する次のバンカー、新しい2Bを見続けているということなのか、それとも?


ヨルハ部隊は命を軽視する人殺し部隊

ヨルハ部隊は人類抹殺を企む機械生命体を狩る兵士の集団であることから、暴力と死に加担することを肯定的に捉えているようだ。9Sは機械生命体の社会性を無視したり、差別したり、憎むような台詞を言う。9Sと2Bに感情があることはプレイヤーから見ても明白だ。

[ 2023/03/24 09:05 ] 考察 | TB(-) | CM(0)

MMDを越えて来るもの

3Dキャラクターモデル乱世。Unityが牙城を築く。
VRChatのアバターとVTuberが賑わうように、UnityのMecanim Humanoidが定番となった。

Hobbyistモデラーの台頭でblenderの勢いも止まらない。Mayaが機能で上を行くとしても。

AutodeskがMayaのインディー向けサブスクリプションの提供を開始。Softimageしかり、ZBrushしかり、歴史は繰り返す。

3Dソフトウェアが安価を売りに大衆を呼び込む時は、市場シェアで劣勢を強いられている時だ。3年程度で結果が出るだろう。SoftimageもZBrushも、より経済的な基盤のある会社に吸収されている。Autodeskが違う点はCADが強いことだが、競合他社との兼ね合いで果たして……?

Blender Foundationを取り込もうという動きも、ひょっとするとあるのかもしれない。

MikuMikuDanceが終わってしまうことはないだろうが、さりとて進化することはもうないだろう。今のひとはblender→Unityを経て、VRかMRか――拡張現実の未来はどこで始まるのかまだわからないものの、アバターの荒野(フロンティア)へと旅立っていく。
[ 2022/11/15 19:24 ] 考察 | TB(-) | CM(0)

オタクを詰る理由付け

「自分だけを見つめてくれるアニメの女の子でオナってるんでしょ? キモっ」
    by「詰(なじ)られ手コキ」中の小悪魔

ある時期――宅八郎(*)がTVで活躍していた頃、オタクは差別的に見られていた。が、今はそうでもない。
* Wikipediaを参照すると氏の名前を出すことは得策には思えないが、TV局側が作ったという風貌ゆえに、当時のアイコンとして非常にわかりやすいために挙げた。個人的な関係などは一切ない。

その証拠に、メディアにはオタク趣向なコンテンツが山ほど見られるようになっている。AKB48出演のバラエティ、VTuber出演のトーク番組、かつてのオタク向けコンテンツをお笑い芸人達が熱く語る番組、などなど。

さらにオタクはビジネスを活性化させる原動力として、方々で採用されている。メッカの秋葉原電気街の装いはもちろんだし、地方のゆるキャラ、ロコドル(ローカルアイドル)、初音ミク、など枚挙に暇がない。

ソーシャルゲームが使う仕組みも、キャラ萌えであり、オタクがアニメの二次元キャラクターに入れ込んでいた最初期の構図を焼き直しているようなものだ。腐女子が入れ込むBLですら、市民権を得つつある。

そうした中で、エンパイアクラブのメイド達のセリフに現れる時代感覚はどこか古臭い。まさしく、宅八郎の時代に逆戻りしている。

傅きモード(ゲストモード)も顕著で、個性的で迷惑な客としてオタクが頻繁に登場する。

どうしてか、カスタムオーダーメイド3D2では、オタクは蔑視の対象として扱われる。メタ的にも面白い構図である。

COM3D2というのは18禁ゲーム、いわゆるエロゲーで、しかも写実的でない二次元寄りの画作り。それを遊ぶ層はオタクとも広く被っているはずなのだから。つまり、オタクはお得意様であるはずで、それを蔑視するネタを容れてくるということは意図的に見える。

オタク文化が蔓延した中で、広く“オタク”だけを迷惑行為の首謀者として描くのはたいへん危険だ。実際のオタクにはピンからキリまでいるわけで、とても外交的でコミュニケーション能力の高い者も当然いるし、オタクの有名人というのは大体そういう人である。

何かのオタクであることはスゴイ、とメイド達に一目おかれてもよさそうなものだが、そのような演出は見かけたことが無い。

そればかりか、オタク趣味を持つメイドがいない、というのも今のご時世、おかしな話である。

オタク達にアピールするならば、当然、共通のオタク趣味で盛り上がれるメイド、というテンプレが最低一人は居なくてはいけないはずだ。

開発者サイドもオタク趣味を利用して商売をしているにもかかわらず、リア充をスタンダードに据えたかのような世界観が垣間見えるエロゲーというのはいかがなものだろう。

少なくとも、ライターの何人かはオタクの迷惑者を登場させたり、詰るプレイという口実でメイドにオタクを罵らせたりすることで、自身の鬱憤を晴らしているかのように見て取れる。それは仕事の内容が役不足だという抑圧的感情ではないだろうか。

一般的なエンターテインメント性からはかけ離れているような偏見に立ったシナリオの作りが多いことからもライターの未熟さがうかがえる。

以前にも書いたが、仕事に疲れ家庭的な境遇にも恵まれない中年男性が、エンパイアクラブのメイドにサービスしてもらうというシチュエーションが、傅きモードの中で表現される例があった。しかし、その視点は弱者を鼓舞するようなものではなく、諦観への気づきを促すのみで、夢や希望、はたまた改革へと誘うもの、にはならなかった。負け犬を見て一緒に笑おう、という鳥瞰図であった。

今の時代、格差というものを考えずにはおれない。所得や社会的地位の格差、そこが元凶となる提供サービスの品質の違い。

誰もがそこそこの勝者であった中流階級の時代はとっくに崩壊した。高いところから見下ろせる者なんて、世の中にどのくらい残っているというのか。

時代感を捕まえきれていない文芸作品は人々から反感を買うかもしれないことを、ライターの人は理解しておくべきだろう。

「みんな言ってますよ、キモいって。そんなご主人様を見てあげるのは私だけなんですからね!」
    by小悪魔
[ 2019/05/19 23:03 ] 考察 | TB(-) | CM(2)

ミームなるもの

オタクの使命

彼女ナシ・子供ナシ・その他社会的優位な地位などナシの3Nというオタクがいるとしよう。彼には、もう自分の遺伝子を残す手段がない。だから、彼はオタクとして馴染んだ文化の一端や、彼の大好きな二次嫁を複製して残すことを考える。二次嫁の複製とは、多くは独自の翻案、つまり薄い本=同人誌である。

ミームの進化には複製・伝達・突然変異が伴うそうである。オタクの翻案は二次嫁の突然変異みたいなものである。二次創作はオタクのミーム伝達手段なのである。

最も拡散しているオタク・ミームは何か?

同人誌のジャンルで最も描き継がれているネタがオタク・ミームである。題材や性的趣向、具体的な作品名など、さまざまなベクトルでオタクのミームを定義づけることができるだろう。

ここからは、いちオタクが比較的簡単にその身を捧げることができる二次嫁とキャラ萌えをオタクの主要ミームとして考えることにする。

最も同人誌で描かれたキャラクターがキャラ萌えのミームである。適応度が高いという表現を使えば、過去から数えて最も人気があり、今も描き続けられているキャラクターはキング・オブ・ミームだ。

PCとWEBが発達してからは、キャラ萌えのミームは紙媒体である必要がなくなった。親和性が高いのは立体的に動かすことができる存在、つまりポリゴンキャラクターである。アニメといった映像作品でもよかったが、手描きのキャラクターは継続的に存在させるには不向きであり、ただの立ち絵を仮想的な存在に転換させるにはLive2Dのような技術を待たねばならなかった。

こうしたポリゴンキャラクターの中で、初音ミクはかなり生存に適するミームだと言える。その上、適応度(人気)も高く、世界的に周知されている。

キャラ萌えによるミーム

そうしたミームのプールに、お気に入りの二次嫁を投じて生存戦略させることがオタクの役割となるのである。オタクは二次嫁の騎士(ナイト)であり、プロデューサーであり、育ての親なのだ。

画の描ける人は絵師として。曲を作れる人はボカロPとして。そして、ポリゴンモデリングができる人はMMDやVRM形式のビルダーとして。プログラムができる人は絵師やモデラーやボカロPと組んで、総合芸術となる同人ゲームといった分野において、オタク文化ウイルスの永続へと貢献するわけなのだ。

ヴァーチャルがもたらす可能性

最も新しい「キャラ萌え戦争」への参戦者が、かのVTuberである。VTuberも初音ミク同様、生存に適した性質を備えている。ポリゴンもしくは動く二次画であり、中の人の独創性によって、これまでにない多芸を披露することができる存在である。

そして、ただただ受け手と思われていた、特別なスキルを有さない層もVRChatやバーチャルキャストといったサービスの普及によって、キャラ萌え戦争に変化を促す波紋となりつつある。

もはや「キャラ萌え」は、特定の有名キャラクターだけに起きる現象ではなくなりつつある。これからは、誰もが生みの親となって、新しいキャラクターを提供することが当たり前の時代になっていく。VTuber8000人超の世界の誕生である。

新しいキャラクターは、利用者に“纏ってもらう”ことを前提に、ビルダーによってVRM形式やUnityエンジン向け、UNREALエンジン向けなどとしてアップロードされる。利用者は、いわば新しい生まれたてのヒーロー/ヒロインの里親となる。そして、無数にいる競合他者と協調して仮想世界の未来的な愉しみ方の発展に寄与することになる。

こうして新しいオタク文化ウイルスが育まれていく――我々はその渦中にいる! なんと恵まれた瞬間に生きているのだろう!
[ 2019/05/14 01:05 ] 考察 | TB(-) | CM(0)

VRを身近にするもの

VRM形式が主流となりうるのならば、そのサービスは「ライブ配信者になれる!」よりも、参加できるチャットの類いを用意してやることになるのではないか。

バーチャルキャストで生配信をする行為は、素人にとってハードルが高い。素人配信者が自分の配信をどこまでお気楽に捉えているかによる。

翻って視聴者の立場では、中の人が素人でポリゴンキャラクターなら、よほどのポテンシャルを感じないかぎりは、その配信を好んで見ることはしない。声優の卵といったセミプロな配信者が強い理由である。基礎的な素養は見られる(聞ける)であろうから。プロダクション所属ともなれば、定期的な露出が期待できるため、ファンとして応援しやすい。

正反対に、等身大の“素人の”配信者を見たい――例えば、実社会で苦い体験をしている者の共有として――という場合は、ポリゴンキャラクターの殻は却って邪魔になるだろう。配信者のリアルな“人となり”は見る者の共有体験に必要だからである。

さて、サービスとして今後アリそうなものは、任天堂のMiiでやられたような、一人にひとつ(あるいは無数)のアバターではないだろうか。

自分のアバターを纏って、バーチャルライブに観客として参加する、なんてのはとっても気軽な体験だと思う。自分の付近20人くらいのアバター達と一緒に、同じ仮想空間を共有するというエクスペリエンスこそが貴重だろうと思うのだ。

VRChatというサービスはそうした体験の前哨戦だと考えることができる。

■揃いつつあるエントリー機材

折しもOculus Rift Sが5月21日発売予定となり、国内でもAmazonで予約受付中となった。米国399ドルのRift Sは、国内では49,800円の値付けである。国内代理店のついたHTC Viveと比較すると内外価格差はかなり抑えられている。また、Windows MR発売時の内外価格差からすれば、Rift Sは“日本円”で購入検討に値するアイテムだと言える。

肝心の性能はRift並み。眼鏡が入るスペースがゴーグル内に確保され、鼻部分からの光漏れが対策され、装着もPSVR並みになったという。Windows MRと同様にインサイドアウト方式の採用で外部カメラの設置は不要となった。つまり、手軽さではかなり進んだ。

VRヘッドセットへの描画はたいへん重い処理だから、グラフィックボードも強力なものが求められる。少し前までVR ReadyといえばGTX 1060が最低ラインだった――内実はGTX 1070が望ましい。最近は、このGTX 1060~1070クラスの置き換えとして、コストパフォーマンスの高いGeForce GTX 1660が出ている。若干割高のGTX 1660 Tiも選択肢としてはよい。今はまだレイトレーシングが主流になっていないため、高価なRTX 2060の意義はさほどない。

Oculus Rift SとGeForce GTX 1660、それにWindows 10が遜色なく動作するPCで、VRを体験できるようになる。
[ 2019/05/10 00:39 ] 考察 | TB(-) | CM(0)

MMDは幸せか?

2008年あたりからボカロPさん達がもり立てたMMDだったけれども、今は企業Vtuberたちで席巻されている。なかには面白い人もいるし、ファンになったりもしちゃう。

でも、なんだろう? 同人文化っぽかったはずのところが商業ベースに利用されてるんじゃない?という感がある。

ボカロPさんもなかにはセミプロ(どころか、モノホンのプロ)って人も居るはずだし、企業VTuberばかりが悪だなんて決めつけはするつもりもないし、できないけれども。

同人誌だって、大手販売網に委託されて専売されると、もはや「諸経費程度の実費で頒布」どころじゃないビジネスになっているわけだし…… そういうものすら“同人”なのだといってしまうなら、企業Vtuberの方々には、まんまと逆をやられた!って感じになるだろう。

なお、VTuber≑MMD とみなすのは、ポリゴンキャラクターの多くはMMD形式で頒布もされ、実際に中の人と一緒に動いているのもMMDと同じモデルっぽいから。

MMDのポリゴンキャラクター(と合成音声)を使って動画を作る文化が、VTuber露出のアイドル動画にすり替わっていったような気がしている。

視聴者は楽しいほうを歓迎するポピュリズムになりがちなので、素人のノリを上手く活用したプロには敵わない雰囲気になる。

インターネットのおかげで個人が発信しやすくなったと言われるものの、そのメソッドを戦力として活用してしまう商用主義には気をつけなければいけなかったわけだ。

とはいえ、VTuber全盛も長くは続くまい。今は面白く使い(捨て)やすいアイドルとしてTVバラエティに登用されているけれども、一部を除き、やがては飽きられていくはずだ。

なにか次を見据えておかないといけないんじゃないかな。
[ 2019/05/07 05:55 ] 考察 | TB(-) | CM(0)

ソシャゲ

ガチャだよね、諸悪の根源は。

いま、PC版Yakuza 0(龍が如く0 誓いの場所)をプレイしているんですが、ゲーム内でいろいろなギャンブルを遊ぶことが出来ます。洋の東西を問わず、チンチロリンからブラックジャックまで幅広く。

思うのは、ソシャゲは胴元が勝手ルールで運営しているギャンブルだなぁということ。

Yakuza 0で例えるなら、西公園のホームレスが提供している博打に突然、「うちのチンチロリンはサイコロ4個だから」なんてのが出現するようなもの。

そしてガチャは、優位性を煽った、くじ運によるただの「コレクション要素」。

上の例を続けるなら、「今ならピンゾロが出やすくなる御守りを売ってるよ、くじ引きで。ハズレは100枚貯めるとくじ引き1回無料だよ」てな感じ。

「二週間後にはアラシが出やすくなる御守りに変わるよ。しかも当たりくじは今より増えるからね!」

「御守りを個室ビデオ店に持っていけば、無料でイメージビデオが拝めちゃうんだ! 御守りの種類によって女優さんが違うんだよ!」

こんなホームレスが西公園に居たら、さぞかし盛況だろうね。

ポイントは:

+ チンチロリンの茶碗が小さいこと(ションベンしやすい)
+ 御守りの効能は役が完成する確率の上昇だが、具体的な確率が不明であること
+ くじ引きのはずれは常に一定量であって減らないこと
+ 当たりくじの枚数は不明であること
+ 胴元がズルしているかどうかは絶対に見破りようがないこと
[ 2019/02/18 09:35 ] 考察 | TB(-) | CM(0)

なんで高くなるのか

国内価格が3割高になる理由を、インターネットで仕入れた知識で、素人なりに説明してみよう。

①再販売価格が統制されているから

卸代理店が流通業者(Amazonなど)に販売する場合の再販売価格が(メーカーもしくはメーカーに最も近い筋により)統制されているからであろう。今回のグラフィックスカードなら、相場は定価の30%とされていて、ずっと商慣行となっているのではないか。

これにより、価格の維持、値崩れ防止、卸代理店間での販売競争が防止される。

②特値でぼろ儲けできることもあるから

発売からしばらくすると販売店によって値付けが違ってくることがある(つまりセール価格)。商慣行には特値というものがあるそうで、これが流通業者ごとの仕入れ価格の違いになる。特値と引き換えに交渉が成立する。

③新規参入できないから

代理店はひとつではなくて、卸→二次店(商社)、といったルートを取ることもある。この流通ルートは固定的で新規参入が阻止される仕組みになっている。再販売価格の統制があるので、決まりを破るようなことをやれば、すぐ知れ渡り、契約解除されてしまう。

代理店側の利益がしかと守られているため、買う側となる客の目線から見てお得になることがほぼない。

結論

代理店制度がある限り、自由競争にはなりにくく、モノの価格は(代理店によって)いいようにコントロールされる。このネット時代に、またもや悪しき慣行がのさばり続けるのがJAPANということ。
[ 2018/08/28 04:55 ] 考察 | TB(-) | CM(0)

か弱いメイドの可能性

この記事がたいへん興味深い。

[CEDEC 2018]ロボットと人間の関係性に注目した「弱いロボット」の可能性

「弱いロボット」理論をメイドで喩えるなら、

・車椅子のメイド
・妹
・「足手まといでごめんね」

みたいな感じだろう。「か弱いメイド」に変化してやれば萌えが強くなるのである。

画面の向こう側でポリゴンで作られた部屋に、件のメイドがいるとしよう。

こちらに近づこうとすると、ポリゴンで作られた生活用品、本棚や椅子に(車椅子なので)すぐひっかかってしまう。

「ごめんね、○○(メイドの名前)、ここが通れないの」

これがVRだったとすると、ユーザーはポリゴン部屋の障害物を取り除いて○○ちゃんを助けようとしちゃうわけだ。→That's 萌え!

すると件のメイドが、「お兄ちゃん、ありがとう!」てな風に喋る。自然なコミュニケーションが生まれるので関係性がすぐに出来上がる。→よし、VRゲーム出来たw

そして、○○ちゃんはメイドだから、メイドらしいお仕事をしはじめる。やっぱり彼女一人では出来ないことが一杯出てくる。その度にユーザーが「仕方ねーなー」と思いつつ手助けしてやる。

・高いところにある物を取ってあげる
・ぞうきんを搾ってあげる
・ちりとりを持って待機
・着替えを手伝う
 ……などなど

誰か、このVRゲーム、オレと一緒に作らないか?

……待てよ、似たようなコンセプト、既にラノベでなかったか? ま、いっか。
[ 2018/08/26 04:05 ] 考察 | TB(-) | CM(0)

人造人間とは誰のことか

ウエストワールド 2ndシーズンが始まりました。
デトロイト:ビカム・ヒューマンが発売されました。
ブレラン2049を鑑賞済みです。

まず気になるのは、フランケンシュタイン・コンプレックスで終わらないよね? 大丈夫だよね? ってことです。

(まだ遊んでませんので)おそらく、テーマが目指すところは――ロボットや人工知能の研究者が語ったりするところと同じ――人造物を通して己を知る「人間とは何か」、というやつに行き着くだろうな、と予想します。

スタートレック:ヴォイジャーに登場する、光子とフォースフィールドで出来た『ドクター』というキャラクターで既にやりつくされたことだと思いますが。

例えば、エピソード「ドクターの家庭」が真っ先に思い出されます。人間らしくなるということは、辛くても辞められない、ってことです。プロジェクターのスイッチを切ればいい、というわけにはいきません。

ただ、ドクターはたくさん居る登場人物の一人でした。ヴォイジャー号のクルーの中で人造物は彼だけ。24世紀の背景世界ではドクターと同一モデルが使役させられている画が出てきたりはしています。ドクターのような存在が普遍的に山ほど居る世界ではどうだろうか? が現在の命題ですよね。

ウエストワールドが少々危ういのは、主人公としてのウィリアムに観客が乗れなかった(rideできなかった)こと。あの世界の良心であるかに匂わせたバナードが人造人間側だったこと。つまり、脚本家の関心事は人造人間たちがどう動くか、ということだったんですね。それがドロレスであり、メイヴであった。しかし、第一シーズンはミスリードや観客を騙すトリックが多すぎて、主題が曇っていました。クリフハンガーが、ホスト(人造人間)によるゲスト(人間)大量殺戮だったせいで、余計にフランケンシュタイン・コンプレックスに収束してしまうような危惧を感じました。

ブレラン2049も似ています。人間性を獲得した旧世代のレプリカントたちが、まるで奴隷が蜂起するように人類への反乱を画策していることが、最後に分かります。一方で主人公のKは自分なりに生きたことを証しとして、ロイ・バッティのように死んでいくのですが。

橋渡しをしようという立場の登場人物が居るかどうかは重要です。世界は人造物VS人類の闘争へと偏ったまま進みます。その戦争の中で個体がどう行動するかは追うけれども、戦争の流れは変えられない雰囲気です。それこそ人類が体験した二度の世界大戦のように。ある種、戦記物みたいですよね。

ウエストワールドでは、ただ生きているだけではなくて、ループの中で覚醒できているか、を人造人間に問うてきます。「皆さんは人生の中で覚醒できていますか?」ってぶん殴って来てるんです。すでに映画「ファイトクラブ」で体験したことですね。

そうなると、もう厳しい。非リアでも負け犬でも覚醒できていればいいんです。でも、できてませんからね、フツーは。仮にできていても、社会は依然としてゲストたちのものですよ! だから、ホスト側の俺なんかは立ち上がらないといけないんですわ。ヲタクのミームを生んで存続させるために! なかなか難しいですわ。リアルワールドは。

[ 2018/05/31 02:33 ] 考察 | TB(-) | CM(0)

Vチューバー台頭に見える唯一感(オーセンティシティ)

今思うと、デジタルなコンテンツであるはずの二次嫁をオーセンティシティ(authenticity)していたのがMMD。巷のモデラーの功績ですわ。

VRチャットもVチューバーの増加も、『俺の唯一』感を本物にするため。ガワとしてのキャラクターモデリングだけでも、見る者が幻想を容れる余地がある。それはアイドルの要素としてならば充分。

そして、自分のものにできない嫁の時代は終焉する。昔は絵師が、自分の嫁を自分のデジタルブラシで実現していたけれども、今は自分の嫁をフルスクラッチで作れる時代。

更には自分の魂を容れることができる。つまり、作った嫁を纏う。まさに自分だけのオーセンティシティ(本物感)あふれる存在。自分というものが乗った仮想の作品。スゴイ時代ですよ、考えてみると。
[ 2018/05/30 23:56 ] 考察 | TB(-) | CM(0)

RPGの終焉とGTA3スクールの定番化

オープンワールドであること。最近私がはまるのはこの手のジャンルになってしまった。RPGでいうならSkyrimやRisen 2やKingdoms of Amalur Reckoning、GTA3スクールならSaints Row The ThirdやSleeping Dogs…。先に挙げたRPGはまだ体裁を保っているが、Biowareの近年のRPGはその骨子を失いつつある。それはなぜだろうかと考えると、GTA3スクールが定番化する理由と因縁が深いように思う。それはRPGを換骨奪胎すると、GTA3に近づくからではないだろうか。そこを考察してみたい。

オープンワールドのこうしたゲームではプレイヤーに強めの選択権が付与される。嫌いなものは後回しか無視で。好きなものはどうぞご自由に。選り好み可能な範囲はほどよく広い。

 オープンワールドの主な選択権:
 ・ミッション:メインorサイド
 ・移動先、目的地
 ・成長:スキル、能力等のアップグレード

自由度という言葉に置き換えられることもままあるが、ほとんどは幻想に過ぎない。細分化された筋立て(プロット)が何十も並行に配置されているだけだ。GTA3スクールではその数もずっと気の利いた巾に限られ、ところてん方式で、終わる度に次が現れる。

移動先は無数にあるように見えて、何らかの出来事(イベント)が起きる箇所はあらかじめ決まっている。開発における時間的経済的な予算がこの密度を決定していると言えるだろう。

成長もRPG独自の要素ではもはやない。プレイヤーからは数値が参照できない作りが昨今のスタイルで、無味乾燥な数字の大小よりも出来るようになったことを羅列していくようになった。

ゲームシステムの洗練

コンソールが主流となる過程では、ゲームシステムの要素に淘汰が起きている。RPGもアクションもジャンル問わず、一律にコンソールの限られたメモリを効率よく運用するために向いた要素だけが生き延びているように見える。これは、ややもすると遊ばせ方の定番化に繋がっている。ハリウッド映画の見せ方がどれも同じという現象に似たものだ。プレイヤーに面倒くさいマネージメントをさせない方向性とも言えるだろう。

特にコンソールのパッド操作と釣り合わない要素は割を食う傾向にある。RPGのインベントリがそれだ。主人公が多種多様な持ち物を所持し、場面に応じて使い分けるという素敵な趣向はRPGならではのものだが、この特性も幻想にすぎない。

インベントリの追放

オープンワールドでは、選択権をプレイヤーに委ねてしまっている以上、並行に用意された筋立ての中で特定のアイテムを機能させるには、必ず経緯(入手の順序)が定まるようにする必要がある。それなら、インベントリに仕舞っておくという行為は必須ではないとも言える。クエストアイテムを別に保管してやり、主人公がイベントムービーでそれらを使う様子を見せれば済んでしまう。プレイヤーにアイテムの使用・不使用でパズルをやらせる必要はない。更に言えば、フラグの用い方をアイテムに固定化させる必要は無いのだ。特定の出来事を体験した事をプレイヤーに分からせておくだけで済む。その出来事の繋がりをオープンワールドにおける筋の進行として表せばよい。インベントリがあることで増す管理の手間の方が切実な問題であるのだから。

コンソールに向いたインベントリは、プレイヤーの好みを充足させる方向で利用されつつある。ワードローブの機能であり、ファッション(外見)やバフ(暫定的なボーナス)だ。セーフハウスや拠点に居る間、プレイヤーに好きな外見を選ばせ、能力におまけを付加してやる。ミッション中はその内容で固定化し、弄ることはさせない。キャラクターの変数を一時的に固定化して、イベント処理中には変化を禁じる上手いやり方だ。

体力回復などはアイテムではなく、場所に固定化させればよい。店で食事をさせ、それによって体力を回復させる。これこそオープンワールドに向いたインベントリの進化である。

リセット

全ての細かいエリアの変化を時系列的に記録していくと、オープンワールドでは膨大なものになってしまう。ここは大胆に省略するか、その時分だけの変化しか把握しない手法がコンソールでは採用されている。

こういう体験はないだろうか。ある敷地内で物語上無関係なモンスターを殺したとする。その敷地を一旦出てから戻ってくると、再び同種のモンスターが湧いている…。リスポーンの仕組は筋立てに無関係なものとして、それが一見不自然であっても、世界の理(ことわり)としてオープンワールドでは機能する。GTA3スクールでは一般の通行人がこれに相当し、彼らの生死は全くプレイヤーには無意味である。

こうしたゲームワールドはプレイヤーがいなくなるとリセットされる。

不滅のエイミング

パッド操作と釣り合わないにも関わらず一向に廃れないのが銃撃戦だ。これは銃社会で暴力を描く必要性ゆえに淘汰されない聖域である。ご存じのようにマウスでエイミングすることを体験してしまうと、パッドのアナログスティックでヘッドショットを狙うことが如何に難しいか痛感できる。パッドでは剣を振るったり、殴り合ったり、車を運転したりする操作の方が向いている。ゲームの主要な難度として働くエイミングが、現在も主役に居座っているのはなかなか興味深い。

戦闘アクションの進化

単にボタンを押して攻撃アクション(殴る、剣を振るう、など)が起きるだけではプレイヤーは満足しない。攻防のせめぎ合いをリアルで手応えあるアクションとして感じたいからだ。

タイミングを合わせてボタンを押す行為が現在のトレンドだ。カウンターを取ってから反撃するアクションがこの種の最も上手い使い方であろう。画面上の敵の動きに合わせてボタンを押すことを要求するものに、クイックタイムイベントがある。クイックタイムイベントは押すボタンを無作為にしてしまうと単なる反射神経のゲームになってしまう恐れがある。これでは、プレイヤーはキャラクターのコントロールを一時的に放棄させられていると受け取ってしまいかねない。しかし、押すボタンを一定の法則に基づいて(例えば、投げを躱す時はYボタン)行うよう推奨すれば、プレイヤーは臨場感と供にコントロールもしっかり握っていると受け取れるはずなのだ。技の『コンボ』もある程度はタイミングに通じ、一連のボタンを押す順序が猶予時間内で完了することが要求される。

新しい体力回復法

『ポーションを飲む』だけで操作上の不利益を何も被らずに体力が回復する時代は過ぎ去った。この仕組を未だに使っているとしたら、それは戦闘アクションの完成度が低くてプレイヤーのフラストレーションを抑える方法がないからに他ならない。

時間制で自動的に体力が回復する時代も過去のものだろう。プレイヤーはその間をやり過ごすだけの待ち戦法に頼ってしまうことになるのだから。

これまでの手法の組み合わせ(*1)や、戦闘での成果に応じて(戦闘終了後に)体力が回復する、というのが新しい試みであろう。

(*1) Blades of Timeでは、時間経過か敵を倒すことでゲージが徐々に増えていく。ゲージが満了した時点で、従来の回復アイテムに相当するハートアイコンが1個分埋まり、ゲージはゼロに戻る。ハートアイコンを溜めることのできる個数はあらかじめ決まっており、超過分は残らない。回復したい時に回復ボタンを押すと、ハートアイコンが1個消費される。自動回復と回復アイテム使用の折衷案だ。

まとめ

こうして分析すると、Mass Effect 3やDragon Age 2がどうしてあのように変化を遂げたのか、手掛かりが掴める。そして、更にそぎ落とすことになるだろう贅肉も見えてくる。

※より主意がはっきりするように数行加筆しました。
[ 2012/08/19 00:48 ] 考察 | TB(-) | CM(1)

ルセッティアの功罪…ローカライザーの懐事情と野心

steam Holiday Saleはつつがなく終了し、午前3時をあれほど待ちわびていた我々の心も拠り所がなくなって、どこか空虚な仕事始めを迎えようとしている。

2010年のIndies長者はMinecraftであることに異論を唱える人はいまい。しかし、もう一人、国内発の立役者を忘れてはならない。ルセッティアだ。

Earnings Call: Recettear’s Follow-Up Revealed(Rock, Paper Shotgun)でも取り上げられたように、宣伝活動もパブリッシャも無しで、専らPCダウンロード販売網だけで10万個を売り上げた。この数字はインディレーベルでは異例の業績だ。

ちなみに10万個超の売り上げは、ルセッティアのローカライズを担当したCarpe Fulgurが1月2日時点として公表したもの。昨年9月28日(発売後一ヶ月)の時点では26,000個を売り上げたとしていた。瞬く間にここまで売れたタイトルだが、内実は複雑なようだ。

急速にここまで数字が伸びたことについて、Carpe Fulgur創設者の一人であるAndrew Dice氏が自らのブログDer Dräkblögの記事100,000 Copies Sold and What That Meansで明かしている。とても興味深いので、要約を紹介しよう。

彼らの悩みは、フルプライスでの販売成績ではないことだ。Indie Story Packを買う人が多く、このパックはルセッティア単体時セールの5ドルにすら満たない販売価格であることから、実入りはとても小さい。しかし、売れ行きを考えると定価を下げたセールをしない手はない。更に、正規のパートナーであるディストリビュータ(ルセッティアの開発元EasyGameStationのこと)が、“胴元の取り分”をもっていってしまう。10月のパックと11月の単体セール合わせて、社員の月給をまかなうほどにはなったが、割を食っているという。将来は是正したい意向だ。

また、売れたことにより、英語吹き替えを考える必要に迫られている。費用は、クオリティを重視するなら、ざっと1万~1万5千ドル。これを安全に投資できるようでないと、吹き替えは難しい。英語吹き替えが成立する場合、デュアルボイス仕様(英日両対応)を見当している。

コンソール機への移植も見当材料だ。GDC 2011での感触で判断すると氏は書いている。費用の見積もりと開発者キットの入手如何だそうだ。非ダウンロードの分野に参入するには問題が山積しており、決して楽観はしていないという。費用面でもDSなどは大変なようだ。3DSのように新型がはっきりしている場合、古いDSにこだわるべきか悩みどころだとも。

英語吹き替えと開発者キットは金銭面で折り合いがつかないので、取るとしたら、どちらか一方しか選べない。開発者キットの方が、事業拡大に繋がるので、優先度は高いが、実際にはキットの価格次第だという。GDCにいるソニーや任天堂やマイクロソフトの担当者が、氏をどのように足止めしてくれるか、見物だ。

融資を受けて借金すればよいと助言があったそうだが、この不景気で、債権者により潰れていく会社をいくつも見てきた氏には、悪い考えにしか写らない。借金するくらいなら、会社を畳むそうだ。

たいへん興味深いことに、創設者のもう一人であるRobin Light-Williams氏は、コミケット79に来日して日本の開発者と会ってきたそうだ。もちろん、次回作の為に。夏コミにも来る予定だという。彼らは海の向こうへの橋渡しを買ってでる意志はマンマンで、二匹目のEasyGameStationを、それこそ目を皿のようにして探し回っているらしい。開発者に十分な取り分を与えていることが、ことさらに強調されている。

次回作はシャンテリーゼが決まっているそうだ。同人ソフトが一攫千金だとは、これまで一体誰が想像しえただろうか?
[ 2011/01/04 09:32 ] 考察 | TB(0) | CM(0)
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