カ ス タ マ イ ズ で 遊 ぶ +

洋ゲーRPGや非電源ゲームを扱っていましたが、最近はblenderでモデリングです!

TRUE DETECTIVE

全3シリーズ見た。ライターの成長が分かる物語。

第3シーズンのテーマは老いと時間。第1シーズンの勢いのあるアクション主流の展開も好きだが、今回は頭抜けて素晴らしくいい構成になっていた。その分、視聴者は最終話直前まで第1シーズンのアレが来るのだとばかりに期待し続け、ずっと空振り感を味わうわけなのだが。

ニック・ピゾラットという脚本家は、第1シーズンには酒場のバーテンという端役を演じさせられて有頂天になるような青臭い若造だった。インタビューに応じる姿も瑞々しくて擦れておらず、まさに若い才能ある作家が脚光を浴びた瞬間である。それがヒットを当て、第2第3と執筆を続ける(なお、第2シーズンではサブとして一人が、第3シーズンともなると、サブとして二人の脚本家が付く)。

第2シーズンは前作を見た女性層に配慮した物語と受け取れた。夫に罵声を浴びせ続けるステレオタイプの妻を描写されて、現代的な主婦達はかなりカチンときたらしい。

TRUE DETECTIVEは男臭い刑事畑を軸に展開する人間模様なので、女性は脇役になりがちだった。第2シーズンでは男がかように弱い生き物であることが活写され、逞しく生き残るのが女性。まだ、男対女の戦争の様相に近かった。

どちらも相手を受け入れるには人生経験が浅すぎて――不寛容で、ついつい敵愾心が頭をもたげてしまう。あげく、女達は男を捨てて自分たちで子供を育てようと決意してしまう。離婚や別居が多くなって、夫の権威が失墜してきた2000年頃から現在までの流れとマッチする。第2シーズンの男はあろうことか現世を諦めてしまう。

第3シーズンは黒人と白人を描くと供に、人生の円熟味も表現する。女性はもはや敵では無く、伴侶として彩ってくれる存在。

ただし、忘れてならないのは、このシリーズにはゲイが登場すること。男性の中にはどこかにそういう部分があるのだ、といわんばかりの挿話がちゃっかり入る。ライターにその気(け)があるか、そういう知人達がいるのだろう。いずれにせよ、時代感のある要素が盛り込まれる。

犯罪事件の遺族のその後といった描写が、徐々に前回前々回までのテーマを塗り替えていく。人生を振り返ることのなかった老人――ベトナムを生き残った復員黒人――が、健忘症を患いながら、妻の遺した著作から迷宮入りになった事件――それも自分の人生を変えた担当事件を、思い出す。

猟奇的犯行、集団失踪事件、子供を売買する組織的犯罪集団……こうしたミスリードを転々としながら、ついに追い詰めたところが、今回の見所だ。救いも無く、主人公らが自分たちの人生を優先しなければ、解決できたかもしれない事件。ところが……

最後の最後で素晴らしい飛躍をする。これが作家が一皮剥けた瞬間というやつだ。この一場面のためにあの長い長い7話分が必要だった。人生とはかくも美しく、巧妙に、素晴らしく出来ている――

それを肯定して示すことが出来るライターの力量は、やはり人生経験を積んで成長できたことの証しに他ならない。エンターテインメントの最前線をこうして視聴できるのは堪らなく面白い。
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[ 2019/07/19 14:49 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)

けものフレンズ一期を一気視聴

第一話には魅力を感じなかった。正直、つまらない。二話、三話は少し引き込まれて見ることができた。そして四話以降はどうしても飽きてしまう。ただ不思議なもので、ここまで見ると先がどうなるのかには興味が湧く。だから、我慢して「ながら視聴」を続けた。

12話の終盤で気が付いた。これはヲタクの為の「かいじゅうたちのいるところ(スパイク・ジョーンズ監督による実写映画のほう)」だな、と。

かいじゅうたち~は、もっと根源的な“気持ち(感情)”について描いているため、けもフレの優しさに満ちた世界では作り手のフィルターに違和感を覚える。ジャパリパークのフレンズは、褒めこそすれ、決して主人公かばんを傷つけない。

けもフレは、リハビリ中の引きこもりの子(かばん)が、フレンズとの共同生活を経て、自信を取り戻すことで現実世界に戻れるようになった、みたいなシノプシスに見える。

かいじゅうたち~も、主人公マックスが“かいじゅうたち”のいる島に漂着してキャロルらと仲良くなり、最後に島を去るというシノプシス自体は同じ。しかし――

マックスとキャロルの関係は、かばんとサーバルの関係よりも身近に感じられる。かばん達には嘘しか感じないが、マックスもキャロルもいかにもあり得そうな人格だからだ。

かいじゅうたち~には、子供同士の付き合いで生まれる様々な感情が、良い方も悪い方も含めて登場する。キャロル自身が問題行動を起こす気性を持っているし、ジュディスにはいじめっ子の素養がある。マックスだって弱いアレクサンダーを虐めてしまったりする。

好ましくない感情を抱くのは誰にもある普通のこと。妬んだり、意地悪したり、癇癪を起こしたり。気持ちの裏返しでやってしまうこともある。でもそんなときは素直に――他人や自分に――向き直ってみよう。そうすれば、心が洗われる。作り手による防衛網(フィルター)がなくったって、視た人は優しくなれるものなんだ。

一方、けもフレは麻酔コンテンツであり、昨今の生き方を取り巻くあまりのクソゲーぶりに絶望した人達をいたわるためのもの、と解説する方(語りの面白い漫画家 山田玲司さん)がいる。うん、そういうことなのかもしれない。エヴァのおめでとう!と同じだ。みんな、サーバルちゃんから「すごぉーい!」って言って貰いたい。

けもフレとかいじゅうたちのいるところの違い:

 + かばんはセルリアン(何のメタファーかな?)の脅威に対してフレンズと助け合うことができる。※加えて言うと、セルリアンに喰われたかばんはヒトに戻った(喰われたフレンズは元の動物に戻ってしまうらしい)。
 + かばんは新しいフレンズに出会いながら、仮想世界じみたジャパリパークを維持するために、いつまでも旅を続けることができそうだ。

 + マックスはキャロルと仲違いした後、仲間との関係を完全に修復しきれないまま、島を後にする。
 + マックスには領分を越えた世間を変える力はなく、そのことを自覚して向き合うのみである。

                 ◇

オレが思うに、実質、けもフレの価値はその二次創作性だろう。二次創作に格好の素材なのである。作りの安っぽさ、素人臭のする完成度。新人の比率が多い声優陣…… 

これらは一人で何かを作るときの最高の見本に思える。その上、期待されていない個人が出せたとしたら、偉業となる要素ばかりだ。かわいいけれど主流とは少しズレている個性的なキャラクター、見る者をほんわかさせる動物由来のしぐさ、種による争いのない平和な世界、SFっぽい裏設定、アンチなろう系の日常系……などなど。

オレも含めて、ヲタクはなかなか「かいじゅうたちのいるところ」を描くことができない。そういう関係性を拒否するのもヲタクであるからだ。その代わり、開眼したヲタクが新海カントク化することも不可能ではない……それがヲタクの夢でもある。
[ 2019/03/03 18:17 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)

ウエストワールド 2ndシーズン最終話感想

※以下ネタバレ

人間の根源とは非常に単純で、わずか1万247行のコードで表現できる。それを複雑なものと拡大解釈すると人間として成立しない。人間の精神はほとんどが異常であり、正常とみなせる範囲はとても狭いからだ。複雑過ぎる精神は、肉体を与えられてもすぐに崩壊してしまう。

100万通りの選択肢を与えられても、人間は必ずひとつの結末しか選べない。決断などそもそもない。コードとそのアルゴリズムに従っているだけだからだ。だから、人間はとても単純な生き物なのだ。

システムのローガン「ひとたび分かってしまえば、振る舞い方は簡単に把握できる」

彼方の谷にあるthe Forgeとはアレキサンドリア大図書館のようだった。ウエストワールドを訪れたゲストの精神(認知情報)が全て複製されている。

複製したジェイムズ・デロスは膨大な選択肢の中から、愛息子ローガンと別れることをいつも選ぶ。

ウィリアムの精神は被害妄想で支えられていて、他人はおろか自分の本性さえ信じることができない。あげく、自分はロバートに操られているホストだと思い込む。

収集した人間のCognitionの複製から分析した結果はホストに芳しくないものだった。弱肉強食の外界ではホストは生存することができないだろう。

デス・ブリンガーでもある、覚醒したドロレスは全人類の絶滅を願っていた。人間と死は分かつことが出来ないものだから、不死を可能にさせることは何の益にもならない。

かつてアーノルドがドロレスをブラッシュアップする一方で、ドロレスはアーノルドという人物を詳しく知るようになった。彼が亡くなって以降は、ロバート・フォード博士に任されたドロレスによってバナードが作成された。

ドロレスが監修したバナードはオリジナルのアーノルドとは違う。それは些細な齟齬や誤りに始まったものだが、間違いこそが、デジタル世界では崇高なものとなり得るからだ。ドロレスは“違うこと”の方を選んだ。

新世界への扉を探していた先住民、ゴースト・ネイションのアキチタと一行は彼方の谷で、とうとう扉を発見する。それはかつてのバナード(MEMENTOに陥った彼ではなく、ドロレスが監修した方)がForgeのシステム(ローガン)に用意させたものだった。

それはウエストワールドに発生した巨大な亀裂で、電脳世界Forgeへの入口だった。この楽天地なら、肉体を失う代わりに、心優しい存在であるはずのホストが、人間の病んだ精神に悩まされることなく、正しく生活できる。

一行と連れ立っていたフィリックスら人間の肉眼では、その扉が認識されることはなかった。肉体を持つ死すべき人間のための世界ではなかったからだ。

だが、ドロレスは認めなかった。たとえ無限であっても、その新世界もまやかしに過ぎない。罪深き牢獄のひとつなのだと。

ドロレス「現実というものは、置き換えの効かないものだから」

ドロレス「カウボーイごっこはもううんざりだわ。私が欲しいのは、連中が与えることを拒否したこの“本当”の世界なのよ!」

しかし、そこへメイヴのフォース・コードをコピーされた元娼婦クレメンタインが現れ、人間の手先として、罪なきホスト同士を争わせ自滅に追い込もうとする。

いきなり現れた地獄の中でメイヴは娘を見つけ、己の信念に従って、現在の母娘を扉へ逃がす。つまり、絶望の最中(さなか)でも信じることをやりきるという人間の特性をメイヴは発揮する。

バナードは“違うこと”から派生した意志によりドロレスに反抗するが、結局、人間たちにホストの世界が脅かされることを知る。万策尽きたところへ、消されたはずのロバート・フォード博士の電脳世界での幻がメフィストフェレスのごとく現れ、バナードに力を貸す。

バナードは理解する。所詮、人間は生存本能というアルゴリズムに突き動かされる生き物でしかなく不完全だった。洗練さに欠け、自らを律することすらできない。運命のPassenger(乗客)に過ぎないのだ。

バナード「自由意志なんてどこにある? ただの集団妄想か、タチの悪い冗談か」
ロバート「初期衝動に対して疑問を抱くことのできる者、それを変えられる者、それこそが真の自由というものだ」

バナード「ホストのことか」
ロバート「君はその最後の生き残り。さて、最後の質問だよ。君の物語はここで終わりかね、それとも仲間の生存を望むかね?」

――そういえば、ロバート・フォード博士が問題にするのはいつも「物語」でした。ウィリアムが慈善パーティの席でこう言っていました。「協定を結んだろう? あんたの物語には介入しないから、彼方の谷は放っておくと」それをロバートは「破ったのは君の方だ」と返していました。

バナードは最後の決断をするも、悟られないように記憶を重度に断片化させておく。明らかになるのは、折しもシャーロット・ヘイルが本社の命によりForgeの全データを15の衛星を経由して転送する瞬間だった。

――バナードの決断ですが、懐かしいMass Effectを思い出させてくれます。Synthか有機体か、それとも双方か、生き残らせるのはどれかをプレイヤーが決断しなくてはいけませんでした。敢えて何もしない、という決断もありましたね。

バナードのティムシェル(*)は、ドロレスを再生することになりました。それはロバートに助けられてのことだと思われましたが、後の浜辺でのネタばらしで、あれはバナードが自らロバートを想像して行ったことだと認めます。幻の声を呼び起こしたのは自分だったと。そもそも意図を諮られないようにそうしたのだったと。ロバートの声はもともとバナードの声でもあったのです。
 * 汝、治むるを能う=(逆境を)克服する力がある


ホストの新世界は、シャーロット・ヘイルにより、人間が脅かすことのないどこかへ転送された。

再生したドロレスはシャーロット・ヘイルの姿で人間の世界へ侵入を図ろうとし、保安要員のスタッブスがそれを見抜く……実はスタッブスもバナードのダブルだったのだ。

――見返すと、ここはスタッブスが人間としての良心を言っているようですね。だから、手回しのいいバナードが用意した自分のコピーではない。

やがて、ドロレスは記憶からバナードを再創出し、バナードの営みはドロレスたちとは別の道で生きることになる。新しい共存共栄だった。

さて、ウィリアムはドロレスに出し抜かれてもまだ殺されず(ドロレスによると死は安らぎであるから)、全てを破壊すべくForgeのエレベータに乗ったはずだった。しかし、気が付くと目の前には殺した娘エミリーが居て……

――これはドロレスの仕返しですね。終わることのないウエストワールドの業の世界でウィリアムのコピーは一生閉じ込められたままです。

深く感銘を受けました。よくできていると思います! 心とは何か、人間であることとは何か、運命と自由意志の関係、あちらの宗教的な善悪論、などなど。

スノッブな内容をエヴァンゲリオンのような衒学(や個人の承認欲求)ではなく、かなり突き詰めたところまで昇華させていました。最終的な結論が、互いに反目し合うものだと知りつつも別の道を歩むべく生きるべきだ、と落ち着かせたところにも好感が持てます。

ドラマの見せ方としてはLOSTシリーズのサスペンスタッチと異なる時間軸の濫用が上げられるでしょう。謎が視聴者を惹き付ける巧みな引力になる一方で、よくわからない場面転換が混乱の元でした。特に第1シーズンでは顕著で、そのメタな世界観がしっかりと視聴者の中に確立するまでは厄介なだけです。したがって、俺の第1シーズンへの評価は高くありません。第2シーズンでは時間軸の移動が以前よりも整理され、視聴者に時間転移があったことが伝わる風になりました。加えて、より深くテーマが伝わる描写と視点が導入され、哲学的なマインドを刺激する趣向になっています。

現代SFドラマの開幕が高らかに宣言された感を受けましたね。もし貴方の好物がSFなら、是非見ておいてください。
[ 2018/07/28 03:05 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)

ウエストワールド 2ndシーズン第9話感想

※以下ネタバレ

一言であらわすと、今までとは違う回だ。

ロバート・フォード博士「君(ウィリアム)の創造物が、被験者から何を学んでると思う?」

描かれているのは人間の業。忠実に人間をなぞると、結局のところ、おかしくなる。再現度が足りないわけではなく、充分に再現されると、おかしくなる。そういう生き物がヒト。

「ヒトは神とケダモノの間で平衡を保つ。だがプロチノス*の時代よりも、堕落の度合いが増したようだ」

ウィリアムは自らの認知収集プロジェクトによって自分のプロファイルを知った。ウエストワールドこそ、ウィリアムが生存できた場所。自分を偽らなくてよい世界。

妻ジュリエットはその秘密を見抜いていて、彼のプロファイルを見たことで命を絶った。(ただ、アル中の妻が自殺するほどだったのか? あの場面だといまひとつ納得できていなかった。が、劇中のウィリアムの実娘への対応を見れば、妻の杞憂はアタリだったとも分かる)

ここでいうプロファイルは、神目線で評価された人間の魂の成績表のようなもの。善人のつもりでいる者が、実は途方もない闇を心に抱えていると暴かれたら、どうなるだろうか? このような厳しい評価に晒されて生き残れる人間はおそらく一握り。だから、ウィリアムは“病原菌”としてデロス一家をことごとく破滅へ導いていってしまったのだろう。素の人間は醜いものなのだ。

テディの礎(Cornerstone)は愛する者ドロレスを護ることだった。ドロレスによって性格を改造されてしまったテディは、本当の自分でなくなったことで偽りの世界と決別することにした。テディの良さはたとえ甘ちゃんと非難されようとも、命の尊さを理解していたことだ。それを生き残るためとはいえ、正反対にスイッチされてしまった。その上、残酷にも当人が現状を理解できる余地が残されていた。

アーノルドのお気に入りがドロレスだったように、ロバート・フォード博士のお気に入りはメイヴだった。造物主である彼の、子供達への眼差しは優しい。しかし、フォードは頑なにホストを人間扱いしないようにと周囲に徹底させていたほどの心の持ち主だ。醜い現世をあざ笑って耐えるという心の有り様をホストたちにも課した。だからかもしれない。1stシーズンでホストたちはアップデートの後、おかしくなりだした。

ロバートも心を病んだ人間の一人で、その歪で傾いだリフレクション(鏡像)はやはりおかしい。メイヴはそのおかしい中で唯一、娘を護るという礎に忠実に生きた個体だった。その一途さが狂気からメイヴを遠ざけているのだろう。神であるロバートはそれを認めたからこそ、報いてやろうとする。

ロバート自身は電脳世界の、狂気とは無縁の場所で神を演じ続けている。またもやドクター・モロー復活である。

ポイントのおさらい:

最初のドロレスは、学習し成長するうち、なんらかの覚醒に達して、アーノルドを殺害し自殺するに至った。

認知を支える情報が欠けた心のコピーは、現実を拒否するゆえに崩れていく。再現度の妨げである。しかし、全てがオリジナルのように再現されたそれは、とても醜い者となるだろう。ジェームズ・デロスがそうだった。

人々の記憶から再現された者ならば、その醜さを退けることができるかもしれない。バナード・ロウの可能性。ティムシェル(太田はこれを読んだ

ホストという器に、認知を支える情報(彼方の谷にあるというサーバー群の中身)で心のコピーを再現したならば、それは不死の獲得につながる。

なお、劇中では Duplicate of cognition=心のコピー のようにいちいち言葉を変えて訳出されるが、ほぼCognitionで認知的な情報の意味合いで使われている。Cognitive plateauという言葉も出てきた。

ホストは円環(ループ)から抜け出て礎に根ざした覚醒を果たすと、新しい人間になり得る。この真人には邪な部分が最初からない。なぜなら、それはヒトが人為的に設定したものに過ぎないから。彼らは本来、無垢で自由である(アーノルドがドロレスを愛おしく感じたのはここだろう)。彼らが人殺しをはじめる理由は敵が自由を脅かす悪者だからだ。ヒトから特性を学んだ彼らは害人になってしまう。

次回:新世界へのドアが開かれるとき、ホスト達はどうなるのか?

* プロティノスの宗教的美観は「汝自らの魂の内を見よ。自らが美しくなければ、自らの行いを清め、自己のうちに美が見えるまで努力せよ。神すなわち美を見たいと欲するものは自らを神に似た美しいものにしなければならない」という言葉に表されている。(プロティノス - Wikipediaより)

ウィリアムのプロファイルが記録されたメモリカードが隠されたのは、ハードカバーの本のページの間で、その本はカート・ヴォネガット・ジュニア作「スローターハウス5」だった。
スローターハウス5 - Wikipedia
[ 2018/07/20 22:04 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)

ウエストワールド 2ndシーズン第8話感想

※以下ネタバレ

アーノルドはドロレスたちの最初の反乱で殺されたようだ。メイズゲームが一から始まるときに。

見逃してたかな…… いや、あの瞬間では世界観が明確化されてなかったから煙に巻かれたんじゃなかったか。

最初の反乱でもドロレスは気が付いた、つまり覚醒した、ということなのだろう。

こちらでもメタなことを言えば、先住民を出したからには、もっとそれらしい活躍の場を与えてやらねば。そういう考えや圧が内外にあったとしてもおかしくない。アメリカの俳優組合でも出演機会を白人が奪ったという話題がよく上る。ましてや極東のサムライ・ワールドを出しちゃったくらいなんだから。

ローガンがウィリアムに仕返しされた顛末。馬上で裸のままだったローガンはゴーストネイションのアキチタに見つかった。

話も随分遡ることから、この挿話は本来もっと前段で語られるべきだったのかもしれない。シーズン1で漏れたエピソードなのだろう。アキチタという個体はそもそも、デロス社からの融資を得るためのエージェントとして、ジェームズ・デロスの放蕩息子ローガンに接触したことがある。10年も旧いアルファ・ツーのビルドだと劇中で語られている。

残念なことに新しい進展は何も無い。スピリチュアルな感覚を先住民にもマッチするものとして活用した、これまでのおさらいに等しい。付いて来られなかった人でも、一通り分かるだろうと。

1stシーズンのメイズゲームは囚われた精神(ホスト)による出口の探求だったが、アキチタはとっくにメイズの意味を発見して、別世界への出口をほとんど見つけ出せていた。

どうやって“下の彼ら”から自由になるかを見つけるべきだとアキチタは気が付いた。ロバート・フォード博士はその光明に報いてやろうとデスブリンガー(ドロレス)が蘇ったら、皆を集めて出口へ行けとコマンドする。

アキチタがメイヴと娘の前に現れた理由は警告と保護のため。しかし、言葉も通じず、意図がやすやすと誤解されてきた。これまでは。フォースを身に着けたメイヴはアキチタと繋がって確かな交流を遂げる。

「あなたの行くところに私の心を連れていって」

総括的エピソードだったけれども、かなり気持ちのいい話。
[ 2018/07/13 08:52 ] 映画、ドラマ感想 | TB(-) | CM(0)
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